苦境もウツ状態も、きっと脱出できます
でも、実行しなければ、知らないのと同じ
自分に適合することから実践してください
一人でも多く、「積極人間」になってください
そして、その先“安心生活”で暮らしましょう
「中村天風哲学勉強室HPより引用」
アナタは、今「続きを読みに来てくれました」。そのワンクリックの操作は、取るに足りないことですが、その行為が重い意味を持つかもしれませんよ。ナゼなら、このページを読んで、アナタのこれからの人生が変わるかもしれないからです。でも天風さんの教えは、世間常識とかなり違います。世間常識が間違っていることも多いわけです。そんなわけでアナタの今の気持ちに、天風さんの考え方がスンナリ馴染むかどうかですね。
だから肩の力を抜いて、気楽に読み進めてください。(解り易く書いているつもりですが、解りにくいところは数度読み返していただけると幸いです)
天風哲学が優れていると言っても、現在のアナタを一足飛びに元気にしてあげられる「魔法の哲学」ではありません。何段階かの学習とその実践の結果「アナタ自身が元気を作り出すのです」。そのお手伝いをするだけです。天風哲学は、どこまでも真理に立脚して組み立てられているからです。
今回のHP上のトラブルで、書き直しを一気に進めました。前回の冗長な部分を削り、「していただく実践について」集中して書くようにしました。「天の声行」「感謝行、2通り」「積極行、3通り」をアナタの問題に合わせて徹底して実践していただけると“今抱えておられる問題が、自ずと解けてくるもの”と思っています。「積極行」をやり続けていただくと念願の【積極人間】になれますよ。楽しみにして頑張ってください。天風哲学では、「理入と行入」(理論的に理解する・実践的にやって解る)を併行して(理入が先行する場合が多い。また理屈で教えられない行もある)するのが基本になっていますので、「どんな効果・成果を得るためにこの修行をしているのか」という問題意識が明確に成ったところで、実践に励んでいただくということを意識して書き直しています。ただただ、座禅するという場合は、何を狙ってしているのかが明確でないため、それで果たして効果が上がっているのかどうかが解らないでしょう。「理入と行入」を併行させる意義はそこにあるのです。
今回も、かなり長くなりました。でも、現在の自分に関係するところだけを重点的に読んで実践して行っていただければよいので、全体を余り気にすることはありません。着実に実践していただきますと、徐々に書いてあることの事情が飲み込めて来て、学習がスムーズに行くと思います。そして、続けるほどに成果も上がると、楽観的に信じていただいて、成果を焦ることなく、現在の自分自身の状態に適合すると思える課題に、諦めることなくしつこく取り組んで行っていただけると幸いです。
お断り:ネット上から知り得たことですが、最近の研究によりますと、原因が精神的・心理的でないウツ病があるようです。甘い物が好きで、ご飯等デンプン質の取りすぎから起きてくるようです。この場合のウツは、タンパク質を取るような食事療法をしなければならないようです。(確定された情報ではありません。念のため)だから以下では、偏食のない方の精神的な問題の場合と考えてお読み下さい。
全編を通読していただくのは結構ですが、たくさんの課題を同時にこなそうとなさるよりも、段階を踏んで着実に前進される方が急がば回れで良いと思いますので、実行段階では、各実践課題に十分慣れて身についてから、次の課題に進まれることをお勧めします。
記述順を推奨しますが、「解説が十分に納得できたところから順次、提案の方法などを実行して行ってください」。実行に入る際は、疑いを持たず真剣に実践してください。ほどなく(課題により期間が違います)効果が現れてきますから。
このトレーニングは、考え方や気持ちの持ち方を変えて行くものですから、薬を用いません。また場所を選ぶことなく実行出来ますので、入院中や投薬中の方でも実行可能と考えられます。しかしながら、万一、治療等で不都合が出るような時は、トレーニングを止めるなり自己判断・自己責任で対処してください。
2011.11.15
書き直し2012.9.1
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ここより本文
目次
Ⅰ:「心を休ませて」、次に感謝の気持ちが湧くように
1.まず何よりも「心」を休ませてあげましょう《 天の声行 》
2.「たとえ身に病があっても、心まで病ますまい」(天風)
3.ウツの出口を出るための儀式。抑えてきた感情を吐き出す
4.天風は「人間は強い存在で、幸せに生きて行けるように生まれて来ている」と言った
5.人や外部環境を責めるのを卒業して、感謝の気持ちに目覚めよう《 感謝行 》
Ⅱ:感謝が出来て「天風哲学」が見えてくる
6.「天風哲学」は、アナタを希望の持てる新しい人生に誘うだろう
7.「天風哲学」と「積極性」について
8.活動できる元気が出れば、「積極人間」を目指そう
《 参考 人が消極的対応になる理由 》
Ⅲ:「積極人間」になるための準備《 心に関する理解 》
9.弱気に考えると“夢も希望も湧いてこない”⇒向下(コウゲ)の人生へ
10.心のメカニズム(まずは理論的理解を)
潜在意識の形成
11.「潜在意識は、どのようにして出来るか?」
Ⅳ:「心の積極化」を実現させる方法《 3つの積極行 》
12.積極策・消極策を提案して来る「心のメカニズム」とは
「観念要素の更改」の概念
潜在意識の大改造のやり方:思考素材の入れ替え法
13.○その①天風さん提唱の「自己暗示による方法」
14.○その②私の直観から「その都度、ダメですよ法」
15.○その③徐々に積極的なものにして行く「心掛け法」
16.「人柄も、性格も、人生も」考え方から作られる
17.では最後「積極人間」の次の人間像は「真人」。
生活では「安心生活」⇒「霊性生活」へ
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Ⅰ:「心を休ませて」、次に感謝の気持ちが湧くように
ふさぎ気味のアナタの身辺は、今どんな雰囲気ですか。とても楽しくて、素晴らしいとは思えませんよね。でもね、その内に以前のような人生が戻ってきますよ。焦らずに、憤らずに、心を休ませて、気持ちを安定させるところから取り組みましょう。同じものを見ていても、悲観的になっているときは、楽しくは見えないものなのです。前向きの気持ちが戻ってくれば、徐々に「また楽しい生活が取り戻せます」。その日を楽しみに、じっくりと取り組みましょう。
我々は、たまたま現在の日本という国に生活している仲間です。世界中で色々複雑で厄介な問題が起きていますが、日本は、間違いなく、先進国で第一級の福祉国家であることは確かですよ。捨てたものではありません。ありがたい国に暮らさせてもらえていると思いましょう。正味、感謝なんですよ。鉄砲玉が飛んでこないだけで、十分ありがたいのです。
とはいえ長い人生、常に順風満帆の時ばかりではありません。必ずと言ってよいくらい、「困難な時に遭遇します」。その時に、助け合わねばならないことは、洋の東西を問いません。長い人生で“心の萎える時もあります”。その時は、周囲の人達に助けて貰ったらよいのではないでしょうか。迷惑を掛けてはいけない、迷惑を掛けてはいけないと思い込んでいると「スンナリと克服できることまで悪循環してしまいますからね」。誰でも不調の時は、周囲の人に助けて貰わなければならないのです。そして、元気になれば今度は、助ける側に回ればお返しです。
過去も現在も実は「人間関係というものは、迷惑の掛け合いの中に在ったのではないでしょうか」。今はそこのところが曖昧になって、忘れられています。人に迷惑を掛けてはいけないということだけが強調されて、結果的に「無関心社会」を作り出すまでになってしまいました。その考え方は間違いでしょう。綺麗事だけを強調してもすぐ矛盾は露呈しますよ。だって考えてみてください。自分が大きくなるまでに、親にどれだけ世話や苦労を掛けたか考えたら、解ると思います。大きくして貰うときは、それでいいんですよ。今度は自分が子供を育てます。「子を育ててみて解る親の恩」。これ、親になって解る実感ですね。世は順繰りですから。長い歴史から見て、迷惑の掛け合いが正しい姿ではないのでしょうか。
このような人間関係の機微を了解してしまえれば、周囲の人に応援していただくことに「強い抵抗感を抱かずに済むのではありませんか」。特にウツ状態になって気力が出ないようなときは、周囲の人の助けを借りる必要があります。病気で動けないような時は、助けを借りることを自然なことと思って周囲の人と接すればよいでしょう。辛くて満足に行動できないのに「人に迷惑をかけてはいけないと思い、自分一人で出来ることをしようと考えると対策が限られて堂々巡りになってしまいます」。こうなれば、悪循環が続くばかりで、良くなる病もなかなか治ってきませんよ。【お互いの助け合い】こそが人間の美しいところです。自分が元気になったときに、お返しにお世話をしてあげればよいのです。
このように鷹揚に考えられることも、ウツ脱出に大きく影響しますから、どうぞ「ご自身の心を大きく・広く持たれるように」心掛けられたらよいと思います。
少し「我に返れば」違う景色が見えますよ。
このホームページからも日頃と違う景色が見えるといいですね。「アナタの耳に天風さんの優しいささやきが聞こえる」かも知れませんよ。そうなれば、いいですね!
ウツの人に、悩み深き人に
1.まず何よりも「心」を休ませてあげましょう《 天の声行 》
もうアナタは、十分自分自身を責め続けていますよ。切っ掛けは「地震や理不尽な仕打ち」からかも知れませんが、最初は環境や周囲への腹立ちや怒りだったでしょうが、今では「自分自身を責めるところ」まで進んでしまいました。だから、アナタは気力まで無くしてしまったのです。この責め苦は、一番、悪質なものです。逃げ場のないところまで追い詰めてしまいます。それもそのはずで、「自分が、自分のことを一番よく知っている?からです」。(そうでもない面も多々あるのですが、今のアナタは、そうは思えませんよね)
そこまで自分を追い詰めてはいけません。
こんな時は、「心の力」を使い果たしています。
人生を強く生きていくために最も大事なものは、何を隠そう、この「心の力」なのです。「心の力」が充実している時は、“やる気満々です”。心の力が少ないと、やる気が出ませんし、「生きる気力も萎えてしまいます」。「心の力」が充実しないと前向きの事柄に取り組めないのです。そのことは実感されるでしょう。でもこの状態に「どう対処したらいいのか」が浮かばないのではないでしょうか。だから、心の力を徐々に貯めていく方法を実行しようというのです。
今のアナタに、ガンバレと言っても頑張れるものではありません。無理なことを注文しても出来ないのです。だから、出来ることをアドバイスするのが、妥当な対処法と言えます。では、気力を無くしていても出来ることをお教えしましょう。
そんなアナタに対処法を提案できるのが、天風哲学の人間理解の深さと実践から導かれてきた強力さなのです。
今アナタに必要なことは、「心を休ませてあげる」ことでしょう。
気力も萎えてきている人にも出来ること、それは「ただただ心を休ませる」ことでしょう。また、「心を休ませる」ことが今最も必要なのです。
では、どうすればよいか解りますか?
心を休ませるには、「ボーッと何も考えない時間を作るだけ」でよいのです。これならいくらヘトヘトの人でも出来るでしょう。心を休ませるには、新しいことをするためのエネルギーを必要としませんし、布団の中ででも出来ますね。
ウソみたいな提案でしたでしょうが、「こういう状態の時の最高の対処法なのです」。ウソじゃないですよ。悪性の結核で瀕死状態の天風さんが、この方法で治ったのですから。
ただただボーッとしていればよいのです。大事なことは、何も考えないようにしているということです。“この何の考えも浮かばせない(脳を完全に休ませる)一時”が、心を休めるのに貴重なのです。この何も考えない一時を「無念無想の時」と言い、このような心の状態になっていると「自然治癒力が旺盛に働き」精神的・肉体的な健康を取り戻すのに極めて有効であるということが、ヨガの大昔からの知識としてあるのです。
天風さんは、この行で結核を治しました。天風さんのヨガの恩師のカリアッパ先生は、エジプトで出会った時から「天の声」を聞かせて、お前の病を治してあげると表現しました。ヨガ5000年の知恵は凄いものがありますね。「無念無想の時」にそんな絶大な力があるとは、現在の日本の常識にもありませんよ。(そこで、この無念無想の一時を創り出す修行を「天の声行」と呼ぶことにします)
座禅や瞑想の経験がない人は(脳を働かさないように)考えないようにしていても、めったやたらと色々な思いが浮かびます(それを「雑念妄念が湧く」と言います)。普通の人では、雑念妄念が半時間は続きます。悩みを持っているような時は、もっと長くなるでしょう。それでも、どんな思いが浮かぼうと「思いが浮かぶに任せて、やり過ごしていると」、3~40分過ぎる頃から、「何も考えない瞬間」が生じてきます。この瞬間が起きて来ることが、「心を休める瞑想」の目的になります。雑念妄念の湧く時も、心を休めていることにはなるのですが、この何も考えない時こそが、心を休めるのに大事な時間なのです。短時間の瞑想も、しないより良いでしょうが、出来れば「何も考えない瞬間が来るくらいの時間座るようにしてください」。40分以上。
実は、この瞑想、始めから簡単にいくものじゃありませんよ。「頭を使うな、何も考えるな」と言うことは易しいですが、「悩んだり、ウツになるような人は、元々“考えるのが得意なタイプの人”で、考えないことの方が何倍も難しいことをする」と思っておいて欲しいのです。ついつい考えてしまうのではないかと、危惧する(悩みを再生することになりますから)のです。肝心な目標は、無念無想の時を持つということを忘れないでくださいね。そのためには、「雑念妄念を湧くだけ湧かせてやろう」と思うくらいの気持ちで取り組んで欲しいのです。雑念妄念が湧くだけ湧くと、悩みに関する頭のゴミが減らせることにもなるのです。この間の事情もよく知って、即ち、雑念妄念を湧かすと、悩む種が減らせるのだということを知り、且つ、無念無想の時がウツや悩みを癒してくれるのだ思って励んでください。この項加筆
この修行は、元気を取り戻すためにとても大事なものです。寝る前や早朝など生活のリズムに合わせて、決めた時間にする習慣を作ると長続きします。心を落ち着けたい時にも有効ですから、随時「何も考えない静かな一時を持つように」努力してください。但し、座禅・瞑想をする時は、“意識明瞭”な状態でしないと余り意味がありません。酒を飲んでいる時、眠くて仕方がない時などは、避けるのがよいでしょう。瞑想に入る前に、軽い体操をして、筋肉をほぐし、血液やリンパ液を動かすとよいでしょう。座りはじめに雑念妄念が出て来ますが、こだわらないで相手にしないでやり過ごすことが大事です。浮かんだ妄念に関心を持って続きを考えるようなことをすれば、考え出すことになり脳を休めたことになりません。
天の声行は、まず「心を休ませる」こと、そして行の副産物として「気を吸収して元気を復活させる効果があります」。瞑想をすれば同時に気力を高めていることにもなっているのです。だからしばしば、心をポカンとさせてやってください。
そのことが納得できれば、熱心に「天の声を聞きましょう」。徐々に元気が戻ってくるための修行だからです。
《 心を休める実践=天の声行 》
悩み深い人・体調の優れない人にお勧めは「天の声を聞く」ことです。具体的やり方などを解説しています。 別ページ「天の声を聞く」に飛ぶ
〈 参考 〉 天の声行では、心を休めるために何も考えない一時を作ることを目的としますが、瞑想という行の総体からみると、同時に大事なことを幾つもしていることになります。
雑念妄念が湧けば、その雑念妄念は次第に記憶から薄れていくのです。忘れたいような雑念妄念を浮かぶに任せておくことで、心の浄化が進むことにもなるのです。また瞑想に入って雑念妄念が湧かなくなると(無念無想状態になると)、「魂」との通信回路が開かれる可能性が出来てきます。「フウッふうっと魂が顔を出すことが起きて来るのです」。何が閃いてくるか解りませんが、「無念無想の時に不意にヒラメク断片的イメージ」が、アナタの魂の語りかけである場合もあります。だから、“心を綺麗にするつもりでも、魂の断片を垣間見るためにも、しばしば瞑想をしてください”。
《 無念無想の境地について 》天風哲学
瞑想が習慣になってくると、雑念妄念が浮かぶ時間が短くなってきます(それだけ雑念妄念が潜在意識の記憶から捨てられたと考えることも出来ます)。そうなると、数分もすれば何も考えない時間が訪れます(無念無想)。それでも、無念無想の瞬間はなかなか続きません。すぐに周囲の音や次にすべき仕事のことなどが頭をかすめます。現実に引き戻されつつも、無念無想に成っている瞬間を長くするように座り続けることが肝要です。そうすれば、“心がポカンとしていて休んでいることが実感できます。
(無念無想について:天風さんは、「無念無想の境地」というものを簡単に体験させる工夫をしました。「単調に鳴り続けるブザーの音に一心に聞き耳を立てておいて、ブザーが止まった一瞬の空虚感」が短時間ながらも無念無想の一瞬だと教えました。この指導は実に抜群の発想と工夫で、このような具体的体験を持たないならば、無念無想という言葉だけの手掛かりで、この心境がそうか、いやあの時の心境がそうなのかと、確信の持てない議論を繰り返すしか手がないためです。ブザーの代わりに仏壇の「おりん」でも出来ます。チーンと鳴らして徐々に音が小さくなるのを一心に聞きます。聞こえなくなった一瞬として無念無想を体験します。キッチンタイマーのブザーでも可能です)
無念無想の心境が解り、無念無想の時を楽しめるようになってくると、「徐々に悩みへの執着」が薄れてきます。あれほど頑固に自分を縛り続けた執着(悩み)も、雑念妄念から解放されるにつれて薄らいできます。心の浄化も手伝って、「少しは違った考え方を受け容れる余地」が出来てくるわけです。そうなれば、悩み事にばかり関心が行った意識にも変化が訪れるというものです。まだすぐに心が晴れるということはないでしょうが、周囲に関心が向いてくるようになるでしょう。春になれば芽吹き花が咲くでしょうし、夏は暑さで大変ですが、また秋は紅葉の美しさが、冬は寒さと雪景色が目に飛び込んでくるでしょう。外に関心が向いてくることはとても良いことです。
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2.「たとえ身に病があっても、心まで病ますまい」(天風)
この言葉に接して、どう思われますか?じっくりと解釈してみてください。
これは、天風さんの有名なフレーズですが、アナタにハッと気付かせるものがありましたでしょうか。「身体の病」と「心の病」は、ハッキリと別なんですね。そうは言っても、この間の事情を知らない一般人にとっては、“身体の病こそが、病・病気で、病気になったら心配して(心も病気にして)当たり前”と思っているのではないでしょうか。ところが、そうではないというのです。
実はこの言葉には、大事ないわくがあります。ヨガ修行の初期の頃に、お師匠さんカリアッパ師に、これまでの生き方を正される中からこのフレーズは出て来たのです。天風青年は、結核による微熱としんどさに四六時中捉えられていたため、毎朝の「今日はどうだ」という問い掛けに対して、毎回「病の苦痛を訴えました」。そしてある日ヨガの大聖者は、『苦しいと言って、お前に何かプラスはあるか』と問い掛けます。そしてお前の答は、ウソではないが『(そう答えることで)病に心まで乗っ取られている状態を作り、苦しいことをさらに自己暗示で強化していることなのだ』と教えられるわけです。
そして、体に病があるからと言って、そのことを心にまで心配させる奴があるかと諭すわけです。
この考え方は、残念ながらまだ日本の常識になっていません。常識は、この逆の方でしょう。病で苦しいから、苦しいと言っているのだ、何が悪い!と、怒鳴り返すかもしれません。でも、この体と心は、別のものだよ、病は体のもので、心は正常だよと言われたら、このような事情を知らない人間は、一瞬あっけにとられるのではありませんか。
このセリフ、初めてお聞きの人も考えてみてください。なかなか含蓄の深いセリフでしょう。「たとえ身に病があっても、心まで病ますまい」。二三度口ずさむと一層、真実味とその言葉のユニークさが染みるのではありませんか。そして病気についての認識を揺さぶられるのではありませんか。(尚、天風哲学では、病気と病は、別のもので厳密に使い分けます。病は、気をつけていても成るもので、病気は、“病を気に病んだ時に現れてくる人為のもの”としています)
この病気・病に関する認識は、天風哲学を学ばないとなかなか解らないもののように思います。これも常識の外にあるものの一つだと思われます。でも、悩みや病にある人にとって、この考え方は、極めて大事なものを示していることに気付いていただけるのではないでしょうか。【気に病む】ということの影響の大きさ深さです。即ち、「心まで病ますまい」です。ハッと気付かれた方は、「これまで一生懸命努力して、心まで病ましてきていた」ことに驚かれるのではありませんか。
そうなんです。ちょっとした考え方の違いで、事情・真相は“一転してしまうのです”。間違った考え方に立っていると、ほぐれるもつれもほぐれないのです。考え方次第で逆効果(悪循環)にさえなってしまうのです。まことに恐い一面です。ここで正気に戻って、現在のアナタの置かれている状況を素直に再分析してください。違った景色が見えてこないとも限りませんよ。その考え方のキーワードは「たとえ身に病があっても、心まで病ますまい」です。
とりわけ、シッカリ分析していただきたいポイントは、「これまで一生懸命、心を病ますために努力していなかったかどうか」という点です。
心を病ますために間違った努力をしていたと感じられて、気持ちの上でも素直に納得できる方は、この後の天風哲学の学習で大いに救われる可能性が出てきましたので、なお一層真剣に学んでください。
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3.ウツの出口を出るための儀式。抑えてきた感情を吐き出す
「天の声行」で、心を休ませることを続けておられると、気力を無くし深く落ち込む状況というものが、徐々に改善されてくると思われます。ウツの克服は、このような状況に成ってくることから始まると思われます。悩み事への執着が薄れてくると、周囲に関心が持てるようになり「ウツの出口」が見えて来ます。
その出口にはこう書いてあります。「鬱積している感情をはき出すと楽になれます」と。鬱積している感情をはき出すことを実行すると「ウツの出口を出ること」になります。
これを書いていて思ったのですが、ウツ状態に落ち込むには、2段階の過程があるようですね。「気になること・心配事が頭を離れない」段階。これが第1段階。ここで止まれば心配なだけでウツになりません。2段階目に入ってしまうには、「不安感が起きてしまうところから」ですね。気丈夫な人は、この不安感を起こさないところで踏ん張っているのでしょう。ところが気持ちのナイーブな人は、「心配事から解放される出口が見付からないとき不安感を呼んでしまう」のですね。
不安感即ち「感情」を呼び出してしまう訳なのです。そして、その感情の処理を誤り、マズイことに“感情を押し殺してしまう”のですね。誰にも話さず、その不安感を自分だけの胸の裡に秘めて耐えようと考えるのでしょう。「私、心配で心配でたまらんのや、助けて」と口に出せると状況はウンと好転するのですが、そこが出来ない性分なんでしょう。
自分の悩みや不安感に関して、こんな分析がクールに出来るようになれば、「ウツ脱出」は間もなくですね、なぜなら、この逆の心理過程を辿れば良いのだろうと推測が付くと思われるからです。
再確認ですが、ウツ状態に成っている人は、「鬱積している感情」を抱いていると思われます」。そう問われたら「そうだと思いますか?」。イエスの人は、出口が見えてきましたよ。【その鬱積した感情を出してしまえば】つらいウツ状態を出られるのですよ。ノウの人も、じっくり考えて、イエスと言えるように自己分析してください。イエスと言えるようになれば、「ウツの出口」のすぐそこなのですから。
イエスの人に問いますが、アナタはこれまで、「自分でどうすることも出来ないと思える不安や不満感を心深く持って」、尚かつ、その感情を自分自身の胸の裡に抑え込んできたのではないですか。
そうだったとすれば、【鬱積している感情をはき出す】ことを実行すればよいのです。
「不安感や不満感を吐き出す」とは、即ち“泣く”か“怒る”かをすることです。感情を出すのですから、激しくなりますよ。それを抑え気味にするのはいけません。そうすれば、「理性的に頭で理解すること」になり、感情は留められたままになるからです。心に浮かぶそのままの言葉や、暴れたくなる気持ちが浮かべば、「気持ちに正直に暴れてください」。信頼できる人に対してその行為が出来ると一番よいのですが、適任者がいないとか、まだ外出できない気分の時は、“一人で怒り・泣いてください”。言葉を口に出して、またはノートに文字として吐き出してください。頭の中でイメージするだけではいけませんよ。実際に怒りなり、不安感を心の外に出さないといけません。気が済むまで、何度でも同じことを繰り返し怒り、泣いてください。鬱積が深ければ深いほど、深くまで感情が傷付いていますから、何度も何度も腹立ちやら不安やらが湧き起こって来るからです。気持ちが軽くなったと感じられるまで、何日もかかるでしょうが、イヤな感情を鬱積させていれば「気持ちが晴れてきませんから」、気持ちが晴れてくるまで、心に貯まった感情を吐き出すことです。本気で、自分に妥協することなく「押さえていた気持ちを吐き出してしまってくださいよ」。残っていると気持ちがいつまでもスッキリしませんよ。ウソいつわり無く正味「気持ちが晴れてくるまで」吐き出してくださいよ。吐き出してしまえば、自然に「気持ちが晴れて来ます」から、気持ちが晴れるのを指標にして本気でやってください。
感情を吐き出していくと、ようやく自分自身を取り戻してきたと感じることでしょう。
自分自身が取り戻せてくると、自然と「外に出てみたい」と思うことになるでしょう。そのような気分になってきたならば、気分に素直に従って「外出し、(人に会う)ように心掛けましょう」。外出することは、ウツ状態を改善するために大変有効です。だから天の声行(瞑想)したり、ボケッとして、気分を落ち着かせては、【散歩に出かけましょう】。散歩に出れば、知り合いに会うでしょうし、そうすれば挨拶くらいはするでしょう。その挨拶をする事がよいのです。前向きの気持ちで挨拶が出来れば、アナタはほぼウツを卒業しているでしょう。そのことがアナタ自身で確認できるでしょう。
自分の言動から「どんな感情が出ているか」は、その気になって観察すれば自分自身のことですから一番よく解ります。まだ陰気な感情を出していると感じられるか、あらまぁ以前とは違って「大分改善された感情を出しているなぁ」と感じられるかです。自然に出している感情で、「鬱積した感情がどの位残っているか」が解ります。
《 自分の自然に出す感情から、鬱積させてきた感情の吐き出し加減が解ります 》
だんだんと昔の元気だった時が戻ってきます。それで、ウツを克服したことになるのです。
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4.天風は「人間は強い存在で、幸せに生きて行けるように生まれて来ている」と言った
天風さんは、聴衆によく問い掛けました。「人間は、弱いものと思うか、強いものと思うか」と。アナタは、こう問われた時、どちらの答をしますか。問われたことのない人は、ハッとしますよね。
この問に、よく考えてアナタはどのように答えますか。
かなり多くの人が、「弱いもの」と答えてしまいますよ。内心、そう思っているからです。
ところが、天風さんは「人間は強い存在で、幸せに生きて行けるように生まれてきているんだよ」と教えました。これは、大事な「人間観」の問題なのです。
消極的発想が浮かんだ人は、「人間は弱い存在」としたでしょうし、積極的発想が浮かんだ人は、「強い存在」と考えたでしょうが、一事が万事、「その人の考え方というものは、心的傾向が消極的か積極的かで、正反対のものになります」。消極的傾向で生きてきた人達は、どうしても消極的なものの見方をしてしまいます。ここで示した天風さんの人間観と対比すれば、どちらの人間観が人生を勇ましく歩けるかは明白ですね。でも、果たして現実にはどうなのか検証したいですよね。実は、天風さんは、それを自分なりに検証しているのです。
検証済みだとすれば、アナタのこれまでの人間観が揺すぶられたのではありませんか。「人間は強い存在で、幸せに生きて行けるように生まれてきている」という人間観に強く魅力を感じるのではありませんか。その人間観が魅力的ならば、それに乗り換えることも出来るのですよ。乗り換えますか。ついでに「もっと多面的に自分を変えようと」思えば如何ですか。アナタの気持ちが高まってきているのなら、私はいいことだと思います。
この人間観は、天風哲学の可能性を象徴するものでしょう。【ここは可能性に賭ける方を選ぶのが良いのではないでしょうか】。この人間観はとても魅力的で挑戦のし甲斐があるのではないでしょうか。おまけに、その命題は、正しいと証明されているのです。これに賭けない手はありませんよ。
《 人間観が変わると、自分という存在の重要性も変わります 》
自分に重要感を覚えられると「自信が出て来ます」=自尊感情が高まるからです
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5.人や外部環境を責めるのを卒業して、感謝の気持ちに目覚めよう《 感謝行 》
ウツを克服できたら、アナタの表情から「病人的雰囲気が無くなります」。そして、自然と元の元気だった時のアナタに戻っていくはずです。そうなれば、長く苦しかった生活からも解放されて、ようやく「生きている楽しさ」が再び甦るはずです。
生きている楽しさが甦れば、再びウツに落ち込まないように「生活の仕方を改善しましょう」。そのための有力な方法を提案してみたいと思います。どうぞ、バカにせずに前向きに取り組んでください。
そのための行を私は、「感謝行」と呼んでいます(感謝行には、深い意味があるのですが、ここでは省略します)。
「感謝行」の実行は表面的には簡単です。生活の中で、ことある度に「ありがとう」なり「ありがとうございます」と口に出して唱えるのです。何かあれば「それは有り難いことだ」と思うように努め、「ありがとう」なり「ありがとうございます」と口に出して唱えるのが、その行です。
「感謝行」の初めは、本当に感謝していなくても良いことにします。この状態を称して「ウソでもいいから、ありがとう」の段階と言います。誰だって、これまで余り感謝していなかった人が、急に今日から感謝せよと言われても、出来るものではありません。だから、“素直な気持ちでありがとうが言えない”段階で、ありがとうを言い始めるには最初の頃、実感のこもらないありがとうを言うしかありません。
でも、それでよいのです。まったくもってそれでよいのです。ナゼなら、ありがとうを言い続けていると、その内に自ずから「感謝の気持ちがこもるように成ってくる」からなのです。だから、最初の頃は「ウソでもいいから、ありがとう」なのです。
でも「感謝行」の面白いところは、ウソから言い始めた「ありがとう」が、いつの間にか進化して、ちょっぴり本当に感謝してありがとうを言うようになってくるのです。これが、この行の面白いところです。ちょっぴり、そう思うと、だんだん本当に感謝するようになってくるのです。ナゼなら、毎日毎日「生かされていることに感謝しないと罰当たりだ」と思えるような感覚が出来てくるのです。ここが解れば、本当に周りの全てに感謝しないと罰当たりだと思えるようになってくるから不思議です。ここまで達するとアナタの「感謝行」は、本物になりました。
本物の感謝が身に付けば、とかく不平不満に明け暮れていた過去のアナダ自身と、見違えるように「成長した現在の自分を見ているはず」です。感謝の気持ちを持てるようになるということは、とっても不思議な作用を自分自身に与えるもので、「以前の至らなかった自分」が、いつの間にか別人に生まれ変わらせるような効果を持っているのです。この文からだけでは、信用できないと思われるならば、感謝行を行じて自分で体験して確認してください。
確実に感謝行を実践されたなら、決して再びウツになりません。感謝行を続けてみれば勝手に解ってきます。再びウツになることが防げることの理由は、「感謝することの意義」を知らない人にはかなりの難問になりますが、「感謝することの大事さ」が解ってしまえば、ウソのようですが納得されるでしょう。
ここで、感謝行をうまく継続していく方法を提案しましょう。それは、寝る前の一時に「三行感謝日記」を付け続けることです。「感謝行・感謝行。ありがとう、ありがとう……」と口の中で唱え続けることも一つのやり方ですが、何でもそうですが、惰性になるとしばしば思いが薄れるものです。即ち、よほど強い意識を持たない限り「行を続ける意識が弛みます」。感謝行も同じです。そこで、意識を再確認する上でも「毎日の行動・動作に結び付けることが有力な対策になります」。だから、日記を付け続けるという作業にリンクさせるのです。三行感謝日記を付けると、「感謝する習慣」を自然と強化できます。作業は簡単です。寝る前の一時に、今日の出来事の中から三つ、一つ一行で、「3つのことに関して、実に有り難いことだった」と大学ノードに書きためていくのです。「今日は、ーーーーーー。感謝です」と3つ書いてから寝るのです。感謝日記を付け続けると「感謝行」をしているのだという意識を毎日確認できますから、感謝行にも力が入ります。行為で表す感謝行として、ぜひ三行感謝日記を付けてもらいたいと思います。人に勧めているだけではありません。私も付けています。私は、この日記を付け始めて現在9年目になります。
《 感謝行 ⇒ ウソでも感謝を。さらに感謝が習慣になるように 》
「ありがとう」そして「三行感謝日記」を付ける
○感謝行1:「腹が立ったら、腹が立った原因を逆に考え、ウソでもこじ付けでもいいから、感謝できる事柄を考え出して、腹が立ってもありがとう」。何にでも○○でありがとうございますと唱えて“感謝します”。その後、心からの感謝の気持ちでありがとうを言いましょう。
○感謝行2:「三行感謝日記を付ける」。寝る前が最良の時ですが、今日有った、ありがたい出来事を三つ、一つ一行、三行書いて感謝の気持ちを抱いて就寝する。
《 感謝行の効果 》
感謝行を続けると若い人なら3ヶ月、中年以降の人でも半年続けると「自分の周辺に“良いことが起きて来る”のです」。良いことが起きてくれば、感謝行が継続しますし、感謝することの大事さが実感できるようになります。詳しい説明は省きますが、良いことが起きるのは、天風哲学的に言いますと「天からのプレゼント」なのです。良いプレゼントが届くのは、生き方の正しいことの承認で、間違っている時は、不運やケガや嫌なことが届けられるのです。「嫌なことが届けられる」のは、「天からの警告」になります。
《 感謝行 参考 》
天風さんは、「不平不満が起きてくるときは、理屈抜きで“感謝に振り替えろ”」と教えました。その本意は、「不平不満という消極的な気持ちは、幾ら理屈をこねても、プラスで前向きな気持ちに変換できない」から、そこは理屈抜きで“よい方に考える”のがベターな対応だということです。(アナタもこの間の事情を確かめるために考えてみてください)こういう作業は、一度してみることが貴重です。一度経験しておくと体験的レベルから、そのことの妥当性が理解できるのです。その見識が貴重なのです。
実践的な正しさは、理屈で推し量れない要素を持っているのです。正にここです。「ウソでもいいから、ありがとう」と感謝の気持ちを表現し続けていると、だんだんと「本当の気持ちでありがとうを言うようになる」のです。感謝行はここが狙い目なのです。初めは苦し紛れに言っていた「ありがとう」も、いずれ本気の「ありがとう」になるのです。感謝することの「霊的意義」が自然に現れてくるのでしょうね。理屈は解らなくても、その行為を続ければ自然に解ってくるのです。体験されると雰囲気的に理解されると思いますが、ありがとうを言うようになると「心が綺麗になる」のです。始めた頃は、利己的で汚い心を持っていたと思われるのですが、不思議なことに感謝行を続けていると、本当に心が綺麗に成って来るのです。考えることが「正々堂々としてきて、美しくなる」のです。当然ながら、人柄が美しく変わってくるのです。この自分自身の変貌を見られると「ありがとうは、魔法の言葉」という実感も味わっていただけることでしょう。感謝行というものの素晴らしさと奥の深さです。
感謝行を始めた頃は、「何で、この場面でありがとうと言わねばならないのか」が納得できないものです。その気持ちは良く解りますが、ウソでもこじつけでも何でもいいですから、自分を誤魔化して「無条件にありがとうを言うようにして下さい」。ありがとう、ありがとうと言っている内に、不思議ですが、徐々に「真実味が出てくる」から不思議です。だんだんと、本当に感謝する気持ちになって「ありがとう」を言っている自分を発見すると思います。そうなってくれば、アナタの人柄も人相も変わってくるのです。私は、感謝行で「今まで感謝しなかった間違いを悟りました」。感謝行が「悟り」を誘導してくれたのです。ぜひアナタも体験してください。感謝の「悟」を得てください。
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Ⅱ:感謝が出来て「天風哲学」が見えてくる
今だから実感して思えるのですが、天風さんの本を読んでも初めの頃は「字面と知識だけが」頭に入った感じだったのですが、「感謝が出来るようになって」天風さんの話されていることが、理解でき、時には納得できるようになりました。即ち、天風哲学が見えてくる段階、それは「感謝が板に付いてくる頃から」と言えます。感謝行が習慣化して、「ありがとう」という言葉が自然と口を突いて出る位になれば、書いてあること・喋られていることに抵抗感無く受け容れるようになってくるのです。
物事に不平や反発がすぐに生まれて、ついついこれまでの習慣的生活で生きていると「一味違う天風さんの教えというか、勧め」が、素直に受け取れない訳ですね。天風哲学を素直に学んでみようと思うならば、自然に感謝念が湧くようになることが大事ですね。そのためにも「感謝行」が、天風哲学学習の早い目のところにあるのです。
6.「天風哲学」は、アナタを希望の持てる新しい人生に誘うだろう
ここで天風哲学が考え出されてきた経緯を簡単に紹介しよう。
《 天風哲学誕生の経緯 》
中村天風(当時、本名三郎30才)が、日清戦争前夜の軍事探偵(スパイ)の厳しい任務を全うして無事帰国して間もなく、当時の医学では治しようの無かった死病の結核を発病します。この発病までは、並はずれて丈夫で度胸の据わっていた三郎だったのに、突如悪性の結核に罹り、さらに病状が進行し、医者に匙を投げられた時、一挙に心が萎えてしまいます。そして、一気に死の恐怖に捉えられてしまったのです。
ところが医者に10年は生きられないと宣告されて、一転気の強さが一部よみがえります。「こんな病で死ねるか!、昔の強い心を取り戻すのだ、取り戻したい」と一心に願い、病克服のために世界を巡る旅に出るのです。そして、運命は三郎青年を救ったのです。
しかし、世界中を探しても自分の結核を治してくれる人は居ませんでした。失望の果てに死を覚悟して帰国の途に就いた三郎は、その途中運命的にヨガの大聖者に出会って、「お前は、まだ死ぬ運命にない。俺に付いてきたら治してあげる」と声を掛けられ、ヒマラヤ山麓でヨガ修行を受けることにします。そうするとどうでしょう、薬を飲むことなしにヨガの修行だけで、聖者の言葉通り病が治ってしまいます。九死に一生を得て帰国し、しばらく後に「なぜ結核を治せたのか」を問う中からヨガの修行を振り返り、「心を強くする方法(結核を治せた方法に当たるので)」を問い詰めて、“強い心で生きることの重大性”に思いが至ります。さらに研究を深めて、「よりよく人生を生きるには、具体的にどうすることが必要なのか」を追求する中から、次第に天風哲学が形作られてきたのです。
この紹介でお解り頂けるように天風哲学の主要な課題の一つは、間違いなく「心を強くする方法」にあります。尚【この方法(天風哲学)は、現在でも世界的にユニークな存在で、広く普及するには至っていません。目下、その途上にあると私は考えています】
私が天風哲学に興味を持ったのは、「薬を飲まずに、瀕死の状態にある結核が治ってしまった」という常識的には、ちょっと考えられないことが、実際に起こったということです。ヨガの行の凄さというか、西洋医学の限界性というか、人間の体・自然の不思議といったものに引き付けられていったのです。とりわけ、「心の働き」のまだ知られていない不思議さにうんと興味が湧きました。学び始めると人生に関わる色々な問題が、具体的な対処法が解らないままに放置されている事情なども解ってきました。それでついつい興味が乗って、深く学んでみたいと思うようになりました。
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7.「天風哲学」と「積極性」について
「天風哲学の根」は、間違いなく“強い心で生きることの重大性”に天風さんが気付いたところにあると思われます。言い換えれば、「強気で人生を生きる」ことの大切さを悟ったのでしょう。逆に言えば、弱気で生きれば「人間が生まれながらに持っている可能性を開花出来ない人生に成ってしまう」ということでしょう。「人間は、強気で生きないと」万物の霊長としての尊厳さえも全うできないと悟ったと思われます。
でも、その根拠は何処にあるのでしょうか。
プラス思考や積極的に人生を生きねばならないとの標語は、世間でも言い古されるくらい使われています。積極人生・積極、積極、積極と「積極や前向き」が人生態度として当然のように述べられ・使われていますが、多くの本では先ずもって根拠が示されることはありません。そこが問題なのです。そこがハッキリしなければ、積極でも消極でもどちらでもいいことにならないとも限らないのですよ。なぜなら、それは「社会的常識のようなもの」と考えても良いからです。後で紹介しますが、「人間も動物も、基本は消極傾向にあるのですよ」。それなのに、人生態度は積極でないといけないというのです。この辺の事情を吟味すれば、自動的に「その根拠の妥当性」に突き当たるのでしょうが、そこを曖昧にしてきたのが、天風さんの研究から明白になってきます。不思議なものですね。
天風さんは別の場所で“人生を積極的に生きることが最も貴いことだ”と更に踏み込んで説いています。そして、根拠を示しています。その根拠は言われればもっともなのですが、日常生活では余り考えもしない、気付くこともない観点で指摘します。どんな根拠と思いますか。
それは、「宇宙・自然界の実状から洞察したものです」。
人間が積極的に生きねばならないその根拠は、「宇宙・自然は、現実に、恒に休み無く“進化向上”しているからだ」というのです。
この意味解りますか。地球上に生きている我々は、当然ながら宇宙・自然界の存在で「宇宙・自然という世界を離れて存在出来ない」、それ故、我々人間は、宇宙・自然の法則の枠の中で生きていく制約を持っている。即ち、「我々人間も、恒に進化向上して行かなければならないからだ」というのです。進化向上は、積極的対応の結果として実現するわけですから、宇宙の進化向上に合わせるには、恒に積極的に対処しなければならないのだと。
実に、明快でしょう。このような根拠を示して言われると「なるほどなぁ」と納得させられるでしょう。
我々人間は、これまでも進化向上してきたわけですが、今後も休み無く進化向上して行かないと、「宇宙・自然の進化向上に付いて行けなくて」置いてきぼりにされるだろうというのです。即ち、人間存在も含めて宇宙全体は不断に進化向上している存在であり、“進化向上の方向を向いて進まざるを得ない運命にあるのだ”と現実を喝破して示すのです。「進化向上」は、宇宙の避けられない現実、宿命なのです。単細胞の命から人間のような複雑な生命まで作り出してきたメカニズムが、進化のメカニズムとして説明され、否定しようもなく「進化向上への営み」だったわけでしょう。身の回りの電気製品でも、次々に新型が作られ進化向上しているではありませんか。宇宙・自然に対応するには、「物事に積極的に対応していくしかない」ということになります。この事実を明白に自覚して、“積極的対応”を心掛けるということしか正しい選択肢は無いというのです。
このようなわけで天風さんは、周囲(宇宙)と同じように人間も一緒に進化向上して行くのが、“正しい人間の生き方”だと提示したのです。
このような理論背景があって、「人生を積極的に生きることが最も貴いことだ」と示し、「積極的」という方向性を“宇宙真理に則った方向性”として「人生の基調」にするように教えています。即ち、いかなる状況に置かれようと「前向きに人生を生き切ることが決定的に大事なのだ」ということをアナタも理解・納得していただけますでしょうか。
《 いかなる状況に置かれようと前向きに人生を生き切ることが決定的に大事なのだ 》
天風哲学は、「積極的対応」が正しいと示しましたが、それは宇宙真理を肯定しているだけで、天風さんの見解としてではないことを正しく理解してください。天風哲学は、殊更新しい考え方を出そうとしているのではないのです。世間常識が宇宙真理でない時がしばしばあると言うのが逆に残念な現実なのです。天風哲学のベースは、あくまでも「宇宙真理」に基づいています。だから本来的に言えば、天風哲学は「宇宙真理哲学」なのです。誤解の無いように。
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8.活動できる元気が出れば、「積極人間」を目指そう
ウツや深い悩みに落ち込む性格のアナタは、「宇宙・自然の営みの方向性」が進化向上の方向だと説明されても、頭では解っても理解の結果、従来とは逆の対応が取れるかと言えば、そう簡単に積極的対応に向かえないと思います。それは、アナタのこれまでの生活で蓄積してきた発想=考え方が「消極的なもので充満している」からだと言えます。
消極的な考え方が充満している人は、そう簡単に積極的考え方に移行できません。スカッと切り替えが出来る人は、「消極的が間違いだった、それが解って“頭に芯から・心の根源から”納得できた」という人だけです。だから、そうではない多くの人は、そう簡単に切り替えられません。ナゼなら「従来、自分のして来たことは間違いだった」という“かつての自分を否定する”ことを認める必要があるからです。多くの人は、それができません。年を取るほど認め難くなります。しかし、ここが肝心なことですが、積極に変わるためには「宇宙が進化向上するように、これからの自分も進化向上して行かねばならないのだ」と強く自分を勇気付けられるかどうかなのです。ここが頑張り所なのです。天風哲学とご縁を得たと感じる人は、ここでシッカリと踏ん張って、「積極的対応へ切り替えるんだ」と信念しなければなりません。アナタ自身の人生を「より良くしていこう」と考えるならば、ひるむことなく「積極人間」を目指さなければならないのです。どうぞ自分を鼓舞してください。
実は、「積極人間」に脱皮するのは簡単なことではないのです。だけど次に解説するように天風さんの大発見になる“観念要素の更改法”⇒この文章では、“思考素材の入れ替え法”という「考え方を変化させていく方法」を、真剣に、しつこく、諦めないで実行して行けば積極人間への転換が可能なのです。そこが天風哲学の面倒見の良いところです。
具体的対処法を提示できるのが、天風哲学の圧倒的な有効性です。ご存知と思いますが、「よっし、今から俺は積極人間になる!」と宣言しただけで積極人間になれたなら、誰も苦労しません。ここは大事なところですが、天風さんが「積極人間に変身する方法」を明らかにするまで、世界中にここを教えられる人はなかったのです。天風さんは、そのやり方を理論的にも解明し、具体的に教えてくれた世界最初の人でもあるのです。
《 参考 人が消極的対応になる理由 》
「消極的対応」ということの深い意味を知れば、多くの人が「色々な物事にナゼ消極的なのか」が解ってきます。消極的対応の意味は、「好きでないなぁ。嫌いだなぁ。出来れば関わりたくないなぁ。避けたいなぁ。逃げたいなぁ」と書き進めば解っていただけるでしょうか。それは、つまり「動物の生存本能に根ざした反応だ」と解釈すると色々なことがよく解ってきます。動物の生存原理は、先ず生き延びて、子孫を残すことにあります。それは即ち、生き延びるために【危険なことからは一目散に逃げ出す体勢に常にある】ということです。これは動物としての自然傾向です。本能として組み込まれている反応になります。人間以外の動物は、危険なことに対して間違いなく逃げる反応を取るでしょう。人間も動物的本能を持っていますから、「逃げる反応」を何ら恥ずかしがることではありません。ただ、人間は、それ以外の反応もするということです。例えば、「死ぬかもしれないが命がけで、原発事故に立ち向かうという勇気ある行動が取れる」ということです。
しかしながら、動物は逃げて生き延びて「命を繋いできた」のです。それは生物進化の過程からするととても大事な営みなわけです。そして、その本能は、人間にも組み込まれていることは否定しようもありません。勇ましさばかりだったら、人間は死に絶えていたかもしれません。
これをもう一段高い次元から言うと、人間は「意識的には危険な行動が取れても、無意識状態では自動的に生存本能が表面に出てきて「消極的な反応」が顕在化する」ということです。このことは、人間でも本能的に防衛体制にあって、危険からは自動的に身を守るように成っているということです。これを好き嫌いの次元で解釈し直すと面白いですよ。「人の長所を上げなさい」という問題と、「人の欠点を上げなさい」という問題のどちらに答えやすいかということです。長所を探すのは簡単ではありませんが、欠点を探すのはわけなくできます。それが「消極的な価値(嫌い)に平素から強い関心を持っている」ことの証明になるのではないですか。“長所を探して、人を育てたい”と平生から意識している人でないと「他人の長所はそう簡単に上げられるものではない」のです。了解していただけたでしょうか。
同様に、心に不平不満(とても嫌なこと)を詰め込んでいると「いい話でも、いい話には聞こえなくなります」。「どんな話に対しても、無意識で“難癖を付けようと待ち構えている”ようなものです」。当然ながら欠点を探す姿勢を保っていると言えます。
「自分の生き方が、動物的な生き方なんだ」と気がつくまで、この生き方を“改めねばならない”とは思わないものですよ。ナゼか、周囲の人達がほぼみんなそんな生き方をしているものですから、世間常識に自分も適合していると思えば、まず間違いなく安心してしまいますからね。運命の分かれ道は、ここですよ。「不平不満をベースに生きるのがよいのかどうか」に疑問が出るかどうかです。天風さんは、不平不満で生きている奴は、バカもんだという意味の話をするのです。そして、今日から、「不平不満を理屈抜きで、感謝に振り替えて生きろ」と言うのです。
不平不満ベースの生き方は、「逃げる体勢」の生活なのです
無意識的に、ビクビク怖がっているのです
生き方を意図的にコントロールしている人を除いて、多くの人々は「嫌なことから逃げる体勢」で生活していますから、「心の指向性」が消極的な事柄を避けるように舵が切られます。言い換えれば、「常に消極的方向性の生活」を選んでいくことになります。即ち、どんな出来事に遭遇してもまず消極的に捉えてしまうということです。アブナイ・そこがダメだ・イヤだ等の反応が先に出るということです。それを人間の思考・感情に翻訳すると、【いつも不平不満な気持ちでいる】と言えます。意地悪な人、反対ばかりいう人、けんか腰の人、風貌さえも恐い人等など、私達の身の回りにそのような人がたくさんいるでしょう。それらの人の共通項は、「気持ちの根っ子に不平不満を持っている」ということです。実は、恥ずかしながら私も、天風哲学を学ぶまでは、文句ばかり言っていた不平不満人間だったので、そのような人の心情は実感的によく理解出来ます。
不平不満のベースで考えていると、やっぱり消極的で否定的な結論しか出て来ませんからね。不平不満・嫌い・避けたいなぁ・ごめん逃げる。この傾向で生きているのが普通の人間です。即ち、「消極人間」なんですね。消極人間が過半数いるのは、ある面当然でしょう。積極人間は、どうみても半分いませんよ。ひょっとすれば1割位ですよ。世の中は、消極人間が基本なんです。積極人間が例外なのです。そのことをしっかりと重く認識しておくことが大事です。宇宙の進化向上に則った生活を目指すのは、大変なんですよ。大いなる一念発起を必要とするのですよ。そこのところを解っていただけたら幸いです。
《 消極人間が多いんだ。でも、ここからは積極人間に生まれ変わるんだと 》
こんな理論的理解と強い決意無くして「積極人間への生まれ変わりは難しいんですよ」そこのところの事情をよく解ってくださいね。
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Ⅲ:「積極人間」になるための準備《 心に関する理解 》
アナタがようやく「積極人間に成りたい」と思い出したとしましょう。でも、先に書いたように、思ったり・宣言しただけでは「現実には積極人間になれない」のです。
それはどうしてか。そのわけは、「これまでの生活で、“消極的態度が体一杯に染み込んでしまっていて”、何か事があれば、その消極的態度が出て来て」、積極的に対応することを妨げるためです。
ある程度の年齢(30歳過ぎ)になると、頭を切り替えることが難しくなります。「慣れたことをする」ことの方がウンと楽にこなせるからです。新しいやり方でしなければならない時は、少なからぬ覚悟が要るのです。既に経験していることには安心感があるのです。だから、同じ結果で良いならば、慣れた方法でしたいと本能的に思ってしまうのです。新規のことには、リスクが付きまとうので、大概の人は嫌がるし、昔の方法でやろうと思うのです。
ということは、こんな場合、本能的に消極的な対応に成ってしまうということです。そのことが解れば、積極的対応に切り替えることの「心理的障壁の高さ」を認められるのではないですか。そうなんです。積極的対応に切り替えるには、頭で切り替えると同時に、体中に染み込んだ習い性になっているものも忘れて、新しいものに切り替えなければならないので、「切り替えのための助走」が必要だと考えた方がよいのです。
そのことが解れば、助走に入りましょう。何よりも大事な手始めは、「積極人間に成りたいのだ。だから、人生態度をこれから切り替えていくのだ」と自分自身に宣言し、頭の中では、何時もその宣言が浮かぶくらいに気持ちを集中させることから始めましょう。自分は変わるのだというモチベーションを高めるのです。これで、走り出せるでしょう。
9.弱気に考えると“夢も希望も湧いてこない”⇒向下(コウゲ)の人生へ
先の決心を更に補強するように、「向下(コウゲ)の人生」のことを紹介しましょう。「こうげ」という言葉を知っていましたか。殆どの人は知りませんよね。そのわけは、天風さんが使い始めた言葉だからです。意味は、向上の反対です。だから、向下(コウゲ)です。文字通り、下に向いていくということです。宇宙も自然も進化向上しているということを言いました。だから、人間も進化向上に追随するためにも「変化に前向きの対応」をしなければならないということでした。ここまで書けばお解り頂けるように、「消極的に対応すると」それは、進化向上の逆方向への変化となるということです。即ち、消極的対応は、「向下(コウゲ)の人生」に導くということになります。解り易く書くと、表題通り「弱気に考えると向下(コウゲ)の人生に向かう」ということです。天風さんは、病を得て「強い心になりたい」と切実に思ったのです。それは、人生を有意義に送るためには、進化向上の方向を目指さなければならないのだという達観というか悟りを持てたからなのです。アナタも、ここは天風さんの経験を重く考えられて、同様の考えと気持ちに成られることをお勧めします。これからの有意義な人生のためには、「従来通りの消極的対応」ではダメなのだと明確に理解し、積極的人生へと舵を切っていただきたいのです。「人生の立て直しのために、積極的思考が不可欠で、これまでの考え方からは、オサラバする」と信念的に確認するのです。
10.心のメカニズム(まずは理論的理解を)
アナタは、「心のメカニズム」について考えたことがありますか。いやぁその前に「「心そのもの」を考えたことはありますか。心は、どんな存在でどんな働きをしていますか。
この答は、結構難しいのです。機会が有れば色々考えてみてください。ここでは、心の働きについて直感的に解っていただけそうなところで話を進めます。
さあて、どうするかな。どうすればよいかアイデアが浮かばなくて困ってしまいますか?
そう難しく考えなくてよいのです。一番よいのは、自分の心の働く様子を観察すればよいのです。難しい学術書を開くことはないのですよ。実物を観察することが一番有効なんです。ほかの場合でも同じ事です。覚えておかれると色々便利ですよ。
「心のメカニズム」を知ろうと思えば、自分の心の働く様子を観察すればよいのです。さあて、何をどう観察すればよいのかなぁ。
(では見ていきますよ)人と話している時、相手の話を聞いていれば、話したいことが自然と思い付いて来る(思いが浮かぶ)でしょう。当たり前だと思いますが、これを不思議だと感じたことはありませんか。人の話が「呼び水となって」、とっさに喋りたいことが思い付いて来るでしょう。特別意識して考えてなくても、勝手に、自動的に喋りたいことが浮かんでくるのです。
それが、心が働いている現場の様子です。
「新聞を読んでいて、気になる記事が出て来ました。アナタの心はどのように働きますか?」。こんな事を考えてみたことありますか。
人間の心は、ビックリするくらいうまく働くようになっているでしょう。「記事をただ読んでいるだけで、ほぼ自動的に“関連する過去の知識が浮かび上がってくる”のが解るでしょう」。誰が記憶を浮かび上がらせたのですか。記憶を呼び戻そうと努力した時は自分で意識的にやっているわけですが、「新しいことを知ろうとしている時でも」自動的に脳の方が記憶を呼び出してくれるのではありませんか。
そうだと思われたなら、心ってスゴイなぁ。イヤぁ、本当にスゴイと感心しませんか。そう思ったらいい機会ですから、我々人間の心の実像を確かめてみましょうよ。
確認しますよ。「本当に意識して無くても関連情報を出してくれましたよね?」。ハイ。
その時、確かに関連情報に対しては、“意識してませんでしたよね。無意識でしたよね”。ハイ。無意識でも「心」は働いてくれているのですね。今、自分自身で確認したでしょう。
「心の働き」って、不思議で且つ複雑なんですよ。
新聞は、意識して読んでいましたよね。それなのに「関連情報が出てきた時は、意識してなかったのですよね」。
たったこれだけのシーンからでも、心の働き、心の働きの不思議さがクローズアップできます。
会話中も、新聞を読んでいる時も、「アナタが脳に関連の情報を探し出せと命令しましたか、していませんか」。探せと命令していないにも関わらず、サッと関連知識を探し出し、心(=顕在意識)に放り上げてくれているのです。確かに起きているこの現象は、意識していないところで実行されているでしょう。無意識領域で起きていますね。だから、この意識領域を「潜在意識」とも呼んでいます。そして、これが、潜在意識と顕在意識の自動的な連係動作になります。スゴイでしょう。これが、まさに「心のメカニズム」=「心の働き」なのです。
このような「心の働き」に関して、天風哲学を学ぶと比較的容易にその輪郭を掴んでしまえます。それは、天風さんの先見性でしょうか、世間より70年以上も早く「潜在意識のことを研究」していたのです。今では、顕在意識・潜在意識は、専門用語というよりもかなり一般的に使われていますが、天風さんは、戦前から「潜在意識の重要性」を強調していたのです。
ところで、顕在意識・潜在意識はお解りいただいていますね。
今何か考えている方の意識を、「顕在意識」。意識していないけれど、裏で働いていてくれるのが、「潜在意識」です。我々の頭は、意識していない間も「無意識領域の潜在意識」を働かせて、色々と考えているのです。
このことを知って、先の会話なり、新聞を読んでいる時の心の働きを今一度考えていただくと、改めてその働きの凄さに感動するのではないでしょうか。
《 この文章を読むだけで済まさずに、実際に実験して確かめてみることが、課題ですからね。実地にやってみると一層実感できます 》
実際に「心の働く現場」の言わば道具立てを見てみたわけですが、“心の働いた結果”はどうなっているのでしょうね。ついでだから、考えてみましょう。
「心が働いて、何をしているのかなぁ」?
単純な質問ですが、これもけっこう難しいんですね。心理学をかなり勉強している人でも急に聞かれたら答えられる人は少ないくらいじゃないかなぁ。答を既に知っている人は、ゆうゆうと答えますでしょうがね。
「心の働き=仕事」は、「思考・感情を作っているんですよ」。
心が休んでいる時は、隠れてしまってよく解らなくなります。でも、働いている時は、“思いと気持ち”(場合により一方だけ)を作っているのです。思い=思考と、気持ち=感情ですね。納得できますね。ここは、シッカリ納得するように吟味してくださいよ。
「心」って“思いと気持ち”を作っていたのですよ。我々の脳は、働いているときは、思いと気持ちを作っているのです。だから、ポケッとする時以外は、何か考えている感じがするのですよ。考えていなくても、「我思う、故に我在り」の感じで、「自分自身の存在を意識していますよね」。その意味では、「心は、意識している実在」とも言えるのですよ。その意識ですが、先に書いた内容が意味を持ちますね。「今何か考えている方の意識を=顕在意識」・「意識していないけれど、裏で働いていてくれるのが、潜在意識」と呼んでいます。
それでですが、今は潜在意識のブームですね。ご存知の人も多いでしょう。潜在意識の本が随分と売られています。事実、ようやく「潜在意識の強力な働き」が理解されてきたのです。潜在意識は、想像を越えるパワーを発揮して、私達の生活全般に影響を与えていると言うのです。そのメカニズムは、解って貰ってますかね。
この話のポイントは「過去のデータ」ですよ。過去のデータが強力に現在に働きかけるのですよ。
「心」は、現在の状況から何か認識したら、思考だけでなく好き嫌いという感情を含めて現在の対処のために、直ちに過去の類似のデータを探し、最適と思えるデータを引き出して、顕在意識に提案して来るのです。その提案がよいと思えば、その案が決定されます。不適当と判断されたら、次の提案を求めます。我々は、なるべく少なく考えようとする傾向があり、そのために先ず過去の類似ケースを当たるのです。この過去のデータを“蓄積している所”が何を隠そう「潜在意識」だったのです。
我々は日頃何も意識していませんが、潜在意識に大変お世話になっているということです。「人生には常に何か起きてきます」それに、どう対処するかが、いつも問われています。「それをどう判断するか・どう具体的に対処するか」。これらを常に決定しながら生きているのです。判断から対処策、それの選択、その他色々、ホンに毎日大変な量の判断をしているのです。その背後にあって、潜在意識は文句も言わずにせっせと働いてくれているのです。手抜きせずに、しかもその時の最善と考えられる策を提案し続けているのです。
ウソのようでしょうが、こんなに顕在意識にも潜在意識にもお世話になっているのですよ。一度それを確認してみるのがよいと思います。
《 潜在意識の働きぶりを実感しよう。どうして次々と判断出来ているのかを確かめる 》
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潜在意識の形成
11.「潜在意識は、どのようにして出来るか?」
潜在意識の働きぶりを確かめようとすれば、実に簡単に確かめられれたでしょう。一度でも確かめておくと、この後実感をもってそのことが理解出来ますので、今度はその知識が「生きた知恵となって」アナタの生活上で自然と応用されるようになるのです。
それが解れば、次ですよ。次は、「潜在意識の実体」の話です。潜在意識は、存在していて働いていることは解ったのですが、ではどう作られてくるのでしょうか。
働きぶりが解ったら、それが出来てくる仕組みも想像できるでしょう。潜在意識の働きぶりを象徴するものは、過去のデータだったですね。それをヒントに考えてみましょう。
私達人間は、幸いにも凄い優秀な記憶力を持っています。重大な経験は「忘れようとて忘れられない」くらいです。そのような重大な記憶も覚えていますが、詰まらないこともよく覚えています。後者の記憶は、シッカリ覚えておこうと意識して覚えたものでない場合も多いものです。強く意識していなくても、覚えているのです。何か連想が起きますね。無意識でも覚えているのですから。
実はそうなんです。私達には意識していなくても覚えてくれる仕組みがあるのです。勿論、脳味噌の中で自動的にしてくれているのですが、勝手にデータが覚えられているのですよ。「憶えているから、記憶の呼び戻しが出来るのですよね」。何か閃きましたね。そうなんです。勉強したこと、体験したこと等、経験の多くを「潜在意識が憶えていくんです」。潜在意識は、「過去に見たもの・読んだもの・想像したもの・体験したもの等、イメージできる全てのものを蓄積する」ことで作られていくのです。こう言われれば、極めて当たり前な答なのですが、この辺の話は、実は心理学の最先端の話なんですよ。潜在意識は、我々の生活に大きな力を持っていることが解ってきて、目下多面的に研究されている分野なのです。
結論的に言いますと、潜在意識は、「想像も含めて、思いと気持ちと体験して得られた全ての情報」をどんどん覚え込んでいく記憶基地と言えます。パソコンのハードディスクみたいなものですね。貪欲に覚え込んで、「必要な時に参考に出来るように蓄積しておく」のです。記憶というキーワードを被せれば、ウンと理解しやすくなるのですが、潜在意識は、とかく“思い出し専用”のような印象で理解されているのですが、そうではないのです。当然な話ですが、「思い出しの前に、覚えるという作業」があるのです。この作業が、「潜在意識の形成」に当たっているのです。
そのことが解れば、「潜在意識と顕在意識は、どう連動するか」が良く解ると思います。
それを探るために、顕在意識を分析してみましょう。前の場合は、過去のデータを顕在意識に提案してくる働きでしたが、今度の場合はその逆コースで、「現在を記憶装置に格納する働き」になります。顕在意識(他に現在意識・実在意識などとも呼ばれます)は、まさに「今の心の現場」ですから、「今の人生の表舞台」に当たると言えます。強調すれば、「今の意識」ですね。それはすぐに解るわけですが、問題は「今は、次々と過去になって行き、今ではなくなります」。ちょっと前の意識内容は、次の瞬間に、次の意識内容に置き換わってしまいます。その変化をどうしましょうか。
顕在意識の守備範囲は、特性的に「現在の一瞬」にあります。あくまでも「現在を処理するのが」顕在意識です。だとすれば、一瞬前の過去はどう処理すればよいでしょうか。顕在意識の取れる対策というか対処策は、一瞬昔のデータを“捨てるか、どこかに保存してもらうか”しかありません。
その時、幸い人間の脳は爆発的に発達して「保存しておくこと」が可能になったのでした。その記憶基地が、潜在意識と呼んでいる脳の領域なのです。脳の発達した現代人類は、何もかも覚えることにしたのです。その結果、顕在意識の内容は、猛烈な速さで、次々と潜在意識に送られ、全量記憶されるように成ったのでした。ここにとても大事な事実としての知識があります。それは【顕在意識の内容は、次々と潜在意識に送られ記憶されて行く】ということです。だから、潜在意識は日々記憶が増えていき進歩していると言えます。知識・経験が、日々進化向上しているのが人間の姿なのです。ここにも、人間の圧倒的優秀さ=万物の霊長としての特権的待遇が働いているのです。人間が経験を積むことの貴重さがこんなところから由来しているのです。そのことを、この説明からもシッカリと知っていただきたいものです。
《 潜在意識の形成と働きを理屈の上でよく理解しましょう 》
Ⅳ:「心の積極化」を実現させる方法《 3つの積極行 》
これからの修行を私は従来から「積極行」と称しております。
“人生を積極的に生きることが最も貴いことだ”といい、周囲(宇宙)と同じように自分も一緒に進化向上して行くのが、「前向きに人生を生きることなのだ」と天風さんが教えています。世の中の進化向上に付いていくだけでも実は大変です。パソコンや携帯電話が良い例です。これらの進化速度は速く、うまく使いこなすのはなかなか大変ですからね。そうは言っても世の中の多くの人達は、パソコンや携帯電話の扱い方を覚えて進化向上に追随されているのですから。考えればスゴイものです。
積極行を行じると、当然のことながら「自分自身の考え方」が前向きに変化してきます。この変化は、冷静に考えれば当たり前のことなのですが、「気が弱かった自分が、知らぬ間に強気の考え方をしていることになり」、自分も変わりに変わったものだなぁと思われる時がその内に来ます。だから、この修行の意味をシッカリと理解してくださいね。積極行は、“自分自身の心の変化・人格の変容を達成しよう”というものですから、【人が変わりますから】その間の事情に誤解のないようにして下さい。良い意味でアナタがさらに変わるのです。それが「心の積極化」ですから、心だけのことではないので誤解の無いように。
だから、アナタが積極的になってくるに連れて、必然的に付き合って楽しいと感じる人々も徐々に変わって来ます。楽しかった昔の友達から疎遠になることを含みますよ(その代わり、新しい気心の合う人達との出会いがあります)。あなた自身の大きな人格的変化を自ら起こそうというのですから、生半可でない修行ですからくれぐれも誤解のないようにお願いいたします。ただこの変容は長時間掛かって徐々に変わりますので、人間関係にそう困ることはないと思います。「じっくりと利いてくる薬のようなもので」、焦らず、かつ、諦めず「毎日、着実に積極行を実行をして行っていただければオーケーです」。気持ち一つで、頭を切り替えて以前の友達とも楽しく付き合う工夫も可能です。天風さんは、「清濁併せ呑めれば」人間の幅が大きくなった証拠といい、色々な価値観の人と付き合うことを推奨しています。着実な修行の暁には、【新しいアナタが出来てくる】ことでしょう。ここからが本当の楽しい修行ではないかと思います。
12.積極策・消極策を提案して来る「心のメカニズム」とは
「心」がどのようなものなのかは、概ね解っていただけたことと思います。思いと気持ちを作るのが仕事でしたね。「心」は、どんな思いと気持ちを作るのでしたか。その時の気持ちの盛り上がり方で決めたのでしたか。そういう要素も確かに生活経験の上でありますが、「大抵のケースでは、その場の雰囲気で決めるのではなく、“過去の似たような場面での記録”に依拠して現在の対処策を出して来るのでしたね」。即ち、過去のデータによって、今の対応を決めていたのでした。(過去に頼るのは、一から新しく判断するには、ゼロからの情報収集が要るし、判断の枠組みも一から作り上げる必要があるので、何もかもが大変なのです。だから、実用上過去に頼ることも良しとするのです)
それ故、大半の人の現在対処は、過去の記録に依っているのでした。このことは、多くの人の判断・問題対処の実際像で、十分に考慮すべき事情です。ある人が、積極策なり消極策を出して来る場合、その人の「過去のデータが、その策を提案して来たから」なのです。またある人は、積極策を提案することは殆どなく、提案の多くが消極策だった場合、その人の過去のデータの多くが「消極的なもので一杯だった」と推測して妥当だということです。過去のデータに積極的なものが無ければ、その人は積極的な策を思い付くことが出来ないのです。
ここをよく考えて欲しいのですが、積極策を出す人間になるには、「参考にする過去のデータに積極的なものが含まれている必要がある」のです。このような関係を考えると、過去において消極的な人が「積極策を新たに採る場合」の問題点が浮かび上がってきます。即ち、「積極人間になるための課題」ですね。
その課題を達成する「基本的問題対処法」が天風さんにより考え出されています。それを「観念要素の更改法」と呼んでいますが、そのための考え方をここでは「観念要素の更改」という概念で言い表すことにしましょう。
「観念要素の更改」の概念
天風さんが考え出した「観念要素の更改」という考え方は、世界的に画期的な考え方だったと言えます。実は、現在でも「世界で、また日本でも知っている人は少ないです」。だから今からでも広めないといけないし、世界中の人が「観念要素の更改」を理解して、人間的に成長すればよいと思われます。そんな考え方を、天風さんは今から約70年前に考えているのです。これは、本当に凄い発見だと思います。
「観念要素の更改」という言葉は、現在では少し難しく響きます。観念や更改という言葉に余り馴染みがないからです。それで私は、「思考素材の入れ替え」という言葉に言い直すことにしました。でも当時の用語としては、「観念要素の更改」は、キマッていたと想像できます。「観念要素(思考素材)は、学問的に格好良いし、更改(入れ替える)は、改める意味だし」、合体させて「観念要素の更改」もカッコイイ言葉だったと思います。でも、今では少し無理があるので、「意味も正しく表すので“思考素材の入れ替え”を私は使わせて貰います」。意味的には同じです。「観念要素の更改」=「思考素材の入れ替え」ということになります。
それでは「思考素材の入れ替え(観念要素の更改)」という概念(考え方)をキチンと解説しておきましょう。
天風さんの「観念要素の更改」という用語には、文脈上の前提があります。それは、「人間の思考というものは、往々、過去の経験や記憶に基づき為されるものである」ということ、もう一つ「記憶は、潜在意識に格納されている観念要素(思考素材)が担っている」というものです。これらが前提になっていて、「消極的な判断を積極的な判断に変えようと思えば、潜在意識内の消極的な思考素材(観念要素)を積極的なものに置き換える必要がある」ということを意味しています。この考え方が、「思考素材の入れ替え」の概念です。中でも、ポイントになるのは、「潜在意識内の思考素材」で、これが、今の思考の基礎材料になるわけで、“前もって思考素材として潜在意識にプールしてある状態”にしないといけないことです。即ち、「置き換える方法は不問にしたとしても、判断の必要な時に、スッと積極的な方の思考素材が呼び出されるように、潜在意識の中に植え込む必要がある」のです。以前に持っていた消極的な思考素材を隠してしまうような処置を必要とするということなのです。以下、その辺の事情をよく考えてお読みください。
そして「潜在意識に格納されている消極的観念要素を積極的なものに置き換える具体的方法」について、ここでは3通り紹介します。それぞれの特徴とメリット・デメリットがありますから、上手に使い分けて「なるべく早く思考素材を積極的なものに置き換えてしまうのが、早く積極人間になるための得策」と言えるでしょう。(後述)
思考素材の入れ替えについての概念は、解っていただけたでしょうか。解っていただけると「積極人間への脱皮法」が納得していだけるのですが、まだ中途半端ですと半信半疑状態になり、真剣に思考素材の入れ替えを実行してもらう基盤が出来てきませんので、十分理解してくださいね。理解が不十分ですと、言葉の遊びだとか、そんなの効果が出るわけがないのでは思ってしまったりしますからね。
例えば、「環境は直接変えられなくても、人間の考え方・気の持ち方を“負けないぞ・余裕があるぞ”と思ったり、自分に言い聞かせたり(自己暗示)するだけで、それだけで対応が前向きに強気に成り得ることを知っているでしょう」。これは、何か困った場面に遭遇して“現在の顕在意識に自己暗示することで積極的対応をしようと心掛ける方法」でしょうが、こんな場面でも、積極化の効果はあるわけですね。思考素材の入れ替え法は、それを、もっと巧妙に「過去のデータ」から読み出したように“積極策を取り出してくる”ことを狙ってする事になります。事が起きたその時に考えるのではなく、「既に経験している方法としてスッと潜在意識から取り出して」積極策が使えるように用意されているというわけなのです。
思考素材の入れ替えは、人間の思考過程の根本に根ざした「意識改革法」であって、けっして言葉のお遊びではありません。消極的に判断するか、積極的に判断するか、またそれらのどちらの選択肢をとるかで、人生航路が違ってくるのが解るでしょう。まさにその選択に関わるところを「自分の意志で積極策を採るように変えていこう」とする努力なのです。本当に大事なのは、“物事にどのような姿勢で取り組むことができるか”なのです。まさに【気持ちの問題】なのです。積極人間と消極人間が出来るのは、その人達の心の向きが違うためで、正に姿勢・気持ちの違いが、両者を分けているのです。
よく考えてみてください。積極人間と消極人間がいた時、同じ場面に遭遇していても、同じ人間なのに対処が違います。そして、結果も違ってきます。積極的な人は、どこが違うかと言えば、「まさに考え方や気持ちが違う」のです。その違いは、考え方や気持ちが積極的なのです。結局「姿勢の問題」なんですよ。「ここのところを徹底的に考えて納得してくださいね」。しつこく「言葉の綾だとか、気休めだとか」と思い続けると、これから先の話が頭に入ってきませんからね。
関連しまして、天風さんの有名な言葉を紹介しましょう。それは「人生は心一つの置き所」です。この言葉も良く吟味しないと深い意味が解りません。この本意は、「人生は、その人がどんなことを一番大事なことに決めるかで決まる」という意味です。正味、その人の人生を決めるのは、決心の中味なのですよ。「決心の中味」は、周りの環境じゃありませんよ、ひとえに“その人の心の持ち方”そのものですよ。心の持ち方なんですよ。心の持ち方は、一番大事なもので、気休めの話ではなく、最も重要な話なんですよ。ここをシッカリ肚に落とし込んでくださいよ。
尚、「観念要素の更改法」は中村天風著『真人生の探究』の感応性能の積極化P108~P194の所で各々、観念要素の更改P110~積極精神の集中法P154~神経反射の調節法P173~で書かれていますが、「観念要素の更改」という考え方に関する記述で、“潜在意識に蓄積されている観念要素を入れ替える”という【概念としての記述】と、具体的なそのやり方として「自己暗示を応用した観念要素の置き換え法」が【観念要素の更改法】という類似の名称で推奨されるため、概念と実践方法の混同による誤解が解消されず、天風さんが世界に先駆けて創案してきた「観念要素の更改」という考え方の重要性が天風会員の中でも過小評価されていることが残念で仕方がありません。この文をお読みの皆様におかれましても、考え方(概念)とやり方を別個に理解していただくようお願いしておきます。
そのため、ここでは誤解の生じないように、「観念要素の更改(法)」という用語を使わずに、「思考素材の入れ替え(法)」と表現していくと同時に、やり方としては「天風さんの自己暗示による方法」と表現します。
《 理論的理解 》 正しく理解できると5年掛かっても頑張る馬力が出るのよ
理解出来ないと「思考素材の入れ替え」の修行の重要さが解らないため、すぐにやる気も無くして宝の持ち腐れにしてしまいます。ご注意を!
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潜在意識の大改造のやり方:思考素材の入れ替え法3つの積極行
無意識領域になる潜在意識に内蔵されている思考素材の入れ替えが実際に出来るならば、「人間の性格や価値観を変え得る」画期的な方法の誕生になります。それが実際に有り得たのです。ここで推奨する方法としては、3通りの方法があります。
これ以外にも有効なやり方が有り得ます。ポイントは、潜在意識のデータを積極的なものに入れ替わりさえすれば、方法はどんなのでも良いからです。即ち、結果重視で効果が出ればよいのです。自分にうまく適合するものを考え出されても良いということです。
13.○その①天風さん提唱の「自己暗示による方法」
⇒一番気掛かりなことを自己暗示で「解決出来たように」誘導して考え方を切り替える
この誘導法には、3段階のステップがあります。
・第1段階は、「命令暗示法」と言います。自分への命令のために「鏡」を使います。具体的なやり方は、寝掛けの時(この時間帯は、ラッポー期と呼ばれていて、暗示効果が高いことで知られています)を選んで、「成りたい自分・新しい考え方等、現在の自分が希望する姿」イメージして、それが実現するように「鏡に映る自分に命令します」。この命令暗示法は、“鏡に自分の顔を映して、鏡の中の自分の眉間を注視して、真剣に命令します”。ポイントは、自己暗示ですから、命令内容を信じ、自分から実現したイメージを思い込むようにすれば効果が上がります。
・第2段階は、「断定暗示法」と言います。この断定暗示は、起きがけにやります。寝掛けに命令したことが、もう実現していることを自分自身に確信させる効果を出します。寝掛けの命令暗示が“既に実現したと”自分自身に思い込ませるようにします。この暗示法は、鏡を使わなくてもよいのです。小声で自分に聞こえるように命令暗示が実現したことを過去完了形で確認します(そう思い込むことを助けます)。
・第3段階は、「連想暗示法」と言います。この暗示法は、朝の断定暗示から今晩の寝掛けの命令暗示までの時間帯で、思い出した時に何度でもしていい暗示になります。自分に対して「忘れていません。こう成りました」と一日中意識して、命令の達成を念じます。「暗示の内容は、朝の断定暗示」を繰り返します。寝掛けの命令暗示が、確かに既に実現していることを確認するような感じで行います。
・毎日毎日、この同じ命令と連想したことを自分に暗示を掛け続けます。実際に実現するまで続けます。
自己暗示法の特徴は、他でもない自分自身が、自分の望む一番の願望の実現を強く暗示することで、「(顕在意識も含めて)潜在意識に、自分の願望を思い込ませることが出来る」ということです。潜在意識に刷り込むと、思い出す度に暗示を意識するようになりますから」思いが反復することになります。我に返る度にそのことを思い出すようになり、繰り返しがパワーになって「願望の実現に知らず知らず力が注がれる」ことになります。そして、他人に暗示を掛けられるのはとても危険な場合があるわけですが、自分自身で掛けるのだから安心できますので、「進んで暗示に騙されに行く」といった感じになれると高い効果を出せるものと思われます。この方法のメリットは予想以上の速さ(2日~14日)で命令(願望)が実現して来ることです。
この暗示法を行う上での注意点
・暗示の言葉は、「現在の自分にとって最も切実な願望の実現を命令し、実現したと思い込むこと」を目差して行いますから、たくさんの願望をしてはいけません。「明確にイメージできる願望を1個だけに絞り」、その願望が本当に実現するまで、変更することなく繰り返します。
・この暗示法は、【極めて真剣に自分に命令し、実現したことを確信するように】、毎日キチンとした手順で行います。真剣さが足りないと成果が出ません。実行しない日が出ると成果が出なくなります。私も、初めてした時は、真剣さが足りなくて成果を上げられませんでした。真剣さが勝負とも言えます。
・自己暗示法に関して、とても参考になるネット内のサイトがありますので、紹介しておきます。それは、ネットの中で活躍中の“夢仙人 岡崎さん”のサイトです。「天風哲学を徹底研究」で検索するとすぐ見つかります。このサイトは、天風さんの自己暗示法について役に立つアドバイスが豊富です。
・天風さん推奨の「お前、信念強くなる」という暗示で有効な人は、少ないようです。それは信念の中味が確定されていないで「結果的に暗示が曖昧になるため」と思われます。暗示の内容・その言葉は「自分自身にとって現実感のあるものでなければなりません」。そして、その言葉は、願望の形の「~であって欲しい」という表現ではいけません。それは、神にお願いするような感じで「神頼み的」でダメです。あくまでも「自分に対する命令」という点を大事にした言葉でないといけません。
・暗示の命令語は良く工夫する必要があります。過去完了形といっても、「病が治った」と完了形ですると今の病状が逆に気に掛かり、「まだ治っていないが」という気持ちが出て、悪い副作用が出て来ます。この場合は、「病が気にならなくなった」とするのです。即ち、命令語が別な連想を呼んで「命令暗示に集中できない場合」は、副作用の出ない暗示を探し出すのがよいでしょう。自分に命令して、命令がスッキリ届いているような暗示のセリフを研究してください。
・この自己暗示法を真剣に実行すれば、早い人で1週間くらいで効果が出ます。遅い人でも1ヶ月くらいで効果が出ると思われます。急いで効果が現れて欲しい願望に使いましょう。効果が出て来ない人は、やり方に欠陥があると思われますので、先に紹介した岡崎さんのサイトなどで勉強して修正しながら真剣に試みてください。
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14.○その②私の直観から「その都度、ダメですよ法」
私の実行中のもの。「その都度ダメですよ法」⇒ダメな言葉を飲み込み・発しない
天風哲学を知り、「積極的な人間に成ろう」と考え、私はまず最初に天風さんの自己暗示法を始めたわけですが、その時は全然効果が現れませんでした。やり方が良くなかったわけですが、自己暗示法は難しいと感じました。
そこで何か代わりの方法ですることができないかを考えました。そうすると、積極人間に成るには「消極的発言をしないこと」という天風さんの本の別の場所での教えが気に掛かりまして、これを試そうと思いました。そこで取り敢えず「消極的な言葉を発しない」ことにしました。本では、その場合、「なるべく積極的な表現に置き換えること」というアドバイスがありましたので、そのアドバイス通りに実行して行ったのですが、消極発言に気付いて口をつぐみ、代わりの積極表現を考えていたら、相手の話は上の空で聞き取れませんでしたし、二人だけの会話の時は、スムーズな会話が出来ませんでした。そんなわけで「人間同士の会話の中で、積極的な表現に置き換えることの困難さ」に直面したのです。言い換えが浮かばないのです。
言い換えを考えていると会話が間延びして不自然になり、言い換えない方がよいと思うようになりました。それで適当な間合いで応答できる方法を探りますと、言い換えると言うよりも「全部言い直すつもりで」その場に臨む方がコミュニケーションがスムーズに行くことが解りました。
そのような試行錯誤の結果、“消極的言葉を喋りそうになったら取り敢えず飲み込む”、そして、話したかった内容を、使えない言葉を除外してもう一度始めから考えて喋る方がスムーズに応答が進むようでした。口をつぐむ分会話の間は少し延びているのでしょうが、相手は待ってくれました。
この時の気付きは、「積極語にこだわらず、単純に別表現を考える方が、頭は短時間で反応してくれる」ということでした。この体験が、「その都度ダメですよ法」を考え出した原体験になりました。(人によって体験の価値評価が違うと思われますが)消極語を使いそうになったら飲み込み「ダメダメと内言で言う」のがそのやり方でした。
「その都度ダメですよ法」は、「使用しないと思っている消極語を話しそうになったら、無条件で飲み込みます」。そして、“内言で、喋りそうになったぞ、アカン(ダメの大阪弁)”と呟いて、別表現を考えて会話を続けた経験から出来てきた命名です。表現は標準語にしましたが、消極語を喋りかけた時に“その言葉はダメ”と言っている気分でした。それでも間違いなく、この方法は「思考素材の入れ替え」になっていました。天風さんの別のところの話だったんでしょうが、しっかりと応用させて貰って自分なりの方法を発見・応用したというところです。この方法を実行してみると、頭の中で、使わない言葉は、語彙の棚の別枠に次々と仕舞われて行っている感じを持ちました。使用しない別の棚に置かれて行っている感じが実感できて、これはまた違った「思考素材の入れ替え法」に違いがないと確信できました。
この方法は、たくさんの用語及び用語法について、飲み込んだ時をチャンスと捉えて1個ずつ次々と、使わない言葉の棚に置いていきます。そういう厄介な繰り返し作業を必要としますが、この方法を根気強く実行して行きました。するとどうでしょう。半年、一年と期間が経つほどに効果が出て来ました。「消極的発言の回数」(気を付けていても消極的発言をしてしまうのです)がどんどん減っていったのです。つまりは、それだけ言葉を飲み込む回数が減ったということにもなります。始めた頃の消極的発言数は、一日に何度か数えられないくらい多かったことを思い出します。5分間お喋りすると数回は消極的発言が浮かび、当初は飲み込む前に口を突いて発音してしまっていました。しかし、私の経験では、5年目くらいで、一日の消極的発言回数が20回を下回りました。一日20回位になると「我ながら消極的発言をしなくなってきたなぁ」と少し感心しました。熱心に取り組まれたら、もっと短期に消極的発言を絶滅されるでしょうが、一応5年という目安を参考にしていただけたらよいのではと思います。「その都度ダメですよ法」を5年続けると、言語表現が、ウンと積極的なものに変わってきます。楽しみですよ。
この方法は、潜在意識でなく顕在意識に働きかけ、顕在意識下で「用語の選別」をする訳ですが、別枠に整理することで次第に「死語」から「消去=捨て去る」ことに行き着き、実質的な「潜在意識からの入れ替え」を達成していたことになります。結果的に、下品な言葉が減って、少し上品に見える効果もありますよ。また、この方法は、長期間掛かりますが、効果の程は確かで、鏡を用いた自己暗示法の難しさがありません。また、自己暗示法では、命令語は一つで、願望達成まで変えられないという制約が付きますが、この方法では、語数や実行時間の制約がありません。そのため、一日に何語でも、使わない言葉を決めて別の棚に入れていけばよく、発言の度毎に色々な言葉・表現に対応できる柔軟性がメリットになります。
効果はすぐには出ないけれど、しつこく諦めない努力の暁に「積極人間」の姿が現れてくる点で、取り掛かりやすい方法だと思います。この方法は、天風さんも間違いなく「観念要素の更改法」の一つであると認めてくれるはずです。
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15.○その③徐々に積極的なものにして行く「心掛け法」
「心掛ける」といういささかノンビリした方法ですが、この方法も思考素材の入れ替えという考え方からすれば、その要件を満たしているので、また現実に効果のある方法なので、その方法の一つとして紹介します。(天風参考:この項目は上記の本では「積極精神の養成」と分類されてきた内容になるでしょうが、天風さんがそこで取り上げている積極精神を作り出すとする例の多くは、結局のところ「心掛ける」ことで可能になるものです。だから私としては“積極という方向性”を大事に捉え、「積極的に考えることを」心掛けるという要素を大きく評価して、観念要素の更改に当たるものと解釈しますから、ここに入れます)
この方法は、積極的になるために“世間で常識的に行われている方法です”。「普遍的に行われている“心掛け”の手法といえるもの」と同じです。ポイントは、心掛けるのですが、努力して「積極方向に持って行くように心掛ける」というところがポイントです。心掛ける方向を間違ってはいけません。
心掛けの項目として色々なものが考えられますが、天風哲学的に表現すれば「進化向上の方向に向いた努力・心掛けを理性的に気に掛けて着実に実行していく」ということでしょうか。言い換えれば、消極的で向下(コウゲ)に向かうものは避けて、積極的・向上的なものを実行するように努力するということでしょう。
「思考素材の入れ替え」という考え方の三番目のケースは、「宇宙の進化向上する方向性を考えつつ進める努力・心掛けの継続」というものでしょう。これを続けると実質的に潜在意識が積極的なものに変化していくからです。
「心掛け」の弱点は、日々色々なことを心掛ける必要が起きてきて、心掛ける内容が錯綜することです。普通の人間で、同時に頭の中に意識してシッカリ覚えておける課題は7つ程度(確からしいところは3つ)で、成果を上げるには、「積極方向の心掛け」の優先順位を高くする必要があると思われる。
これで推奨する3つの「思考素材の入れ替え法」の紹介を終わりますが、出来ればどの方法も実行出来るように成ってください。
そうすれば最も適当な方法が随時採用できるからです。
《 「思考素材の入れ替え」に伴う注意 》
動物は生き延びるために、危険から遠ざかるよう常に外界を警戒する必要があります。人間も万物の霊長といえども、動物であることは免れません。それ故、危険情報を常に取り入れているので「消極的思考素材が日々加わってきます」。そのため、消極的思考素材を「もう捨てきった」と思えるところまで努力したとしても、新たなものが付け加わり、そのため捨てる作業を死ぬまで続ける必要があります。即ち、思考素材の入れ替え法は、生きている限り続けねばならないという性格を持っています。
「思考素材の入れ替え」を続けるということは、「積極人間への変身に努力している」ことに他なりません。実行しているアナタは、能力的にも人柄的にも高まっていって当然です。その時アナタは、以前の友達に違和感を覚えるかも知れません。自分が高まって来ると価値観が変わって、以前に楽しかったことが楽しくなくなるかも知れないのです。人間観としても、「元の仲間との付き合いよりも新しい仲間との付き合いの方が楽しくなり、徐々に親しい相手が変わって行くようなこと」が起こってきます。この変化は極めて自然なことで、「アナタ自身が進化向上した結果の反映なのです」。そのように受け止めましょう。自分自身が積極人間に成ってくると、自然と消極的な人と付き合うのが苦痛になってきて、自然に積極人間と付き合うようになるのです。それはあなた自身がレベルアップした結果で、そのような事態になった時、冷静な気持ちで実感されればいいでしょう。
人の付き合いで象徴的に述べましたが、アナタ自身が積極人間へと変身するに連れて、色々なものの判断が積極的なものを好むようになって来るでしょう。勿論、“何が積極的なものか”の判断は、TPOや時代の変化等極めて複雑な事情を勘案して判断しなければならないので難しいですが、そのような変化が、アナタの身の上に起きることは織り込み済みのことだとシッカリ自覚して置いて下さいね。
ただ注意を要するのは、「何が何でも前に進むのだというガムシャラ積極」では困るのです。積極方向を単純に「ガムシャラ積極」と考えてしまうと、予定外の失敗をしてしまわないとも限りません。この積極方向の価値付けは、まことに難しいのでありますが、それを抽象的に表現すれば「宇宙の進化向上する方向性」とでも言いましょうか。その方向性を洞察して対応せよということです。
関連して、価値的な尺度では、本能的物欲・動物的欲望よりは理性的なものの方が貴いだろうし、さらには霊的なレベルのものを求める方が、より高次元だと言い得るでしょう。
「積極人間」に成るということは、人間以外の動物と懸け離れた“圧倒的に高度な存在であること”を感じるスタートラインに付いたと言えるでしょう。まさに「人間として生まれてきた幸せ」を実感していただきたいところです。この先には、あらゆる可能性が開けていると考えていいと思います。
【人生は、まさにこれからです】
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16.「人柄も、性格も、人生も」考え方から作られる
そろそろこのページの最終章に差し掛かってきました。アナタは、これまでの試練に打ち克って「積極人間」として力強い人生を歩まれていることと思います。ここまでご案内できていましたら、著者といたしましては誠に嬉しい極みです。そこで、最後の大事な人生真理をお伝えしまして、このページを閉めたいと思います。
天風哲学の雰囲気が、ほぼお解り頂けたのではないかと思います。随所に世間常識と違うものがありますが、「明確に言いますと世間常識が間違っています」。あるいは、本質的なところまで考えを深めずに印象的に結論を出しています。だから、ご自身で疑問を持たれた場合、納得出来るところまで考えを進めていただけたらと思います。天風さんは、そのような研究的態度で「自分自身納得できるものを追求した」のです。そうすれば、未知の「宇宙真理」を発見することになったのです。天風哲学に刺激を受けた我々も天風さんのその研究をさらに前進させようではありませんか。
それでは、「考え方」の凄さを見ておくことにしましょう。
○「考え方」と「人生」
“人生というものは、どんな考え方に価値を置くかで決まってしまうものなんだよ”と天風さんはいとも簡単に言い切ります。アナタは、その通りだと思えますか。それでは、その辺の事情を検討しておきましょう。
実は、その通りなんですよ。その答は、以前に一度紹介した天風名言の【人生は心一つの置き所】という一文です。
ウソみたいにお思いでしょうが、本当です。人生は何に価値を置くかで180度違ってしまうものなのです。考え方を変えるだけなら「そんなの信用できない」とお考えになってはいけませんよ。
そうじゃなくて、「考え方こそが、アナタ自身の人生を決めているんですよ」。これは気休めでも、詭弁でもありません。確かな事実です。
このことを非常に解り易く表現されている例がありますので紹介したいと思います。それは、京セラ会長の稲盛和夫さんがよくお話になることです。
仕事の量=能力×熱意×考え方
という掛け算の式です。仕事の量を「人生」と見なしていただくことにして、この式を見てください。この式の中にデンと「考え方」の項目があるでしょう。この中にある「考え方」の値は、-100~0~+100の範囲を変動しまして、ゼロもありで、-100もありなのです。この式は実にユニークなものですが、現実をうまく、説得力強く表しているように思われます。その例は、「有能なオウム真理教の信者が、化学プラントを設計し、運転して、サリンなる毒ガスを作り、人殺しのために地下鉄で撒いた事件」で説明が付きます。彼らは、有能で熱意十分に働いたけれど、“最後の考え方が間違っていたため”取り返しの付かない結果を作り出したのです。彼等の人生は何だったのでしょうか。この場合、考え方には-100が入るのでしょう。有能で熱意があるほど、この値はマイナスを大きくしますから悲惨です。
「考え方」が大きな意味を持つことが解っていただけたでしょうか。
誰でもがそうですが、「人生にどんな価値を置くか=どんな考え方をするか」で、その人の人生が決まるのです。
気持ちが落ち込みウツ状態に成っているのも、地震に襲われ将来に不安を感じられているのも、実は「アナタの心の思い方」が作っているのですよ。思い方は、「考え方」です。冷静に分析してみてください。
そのことに納得できたら、騙されたつもりでもいいですから(決して騙していませんよ)、「人生に積極的に向き合う考え方に成ってみてください」。それはどういうことかと言えば、「人生を積極的に見直してみる」ということです。即ち、「消極的な思いを持たないこと」。即ち、「困ったと思わないこと」です。現実には困っていても「困ったと思わないのです」。心まで病まさないのです。楽観的に・積極的に考えるところから、問題解決の糸口が見付かるのです。恒に「人生には前向きに臨む必要があるのです」。ここが肝心なところですからね。
上の事情が理解できたら、ここで「ご自身の考え方をよく分析すると共に、現在の精神状態を作り出している考え方=価値観を探り出していただきたい」と思います。【自分は今、どういう考え方で生活しているか、人生を送っているか】を誤魔化さずに見つめていただきたいのです。
もしも、「考え方」を変えたなら、アナタの人生は、直ちに違った軌道に乗ることでしょう。
実感して貰えましたか。体験的に解ってもらいたいのです。これが解れば、「人生真理」って、意外と単純で、身近に確かめられるものなんですね。そう思っていただけたでしょう。
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17.では最後「積極人間」の次の人間像は「真人」シンジン。
生活では「安心生活」⇒「霊性生活」へ
「積極人間」に成れたら、自然に欲が出て、さらにやりたいことが見えてくるはずです。「積極人間」の本領発揮です。消極人間の現状肯定では我慢できなくなってきます。当たり前といえば当たり前ですが、まことに不思議なものですねぇ。
宇宙は、一時も休まず「進化と向上に」邁進しています。
こんな事を学び、知れば、「出来れば自分も恒に進化向上していたい」と思ってくるのが積極人間の「性」なのです。死ぬまで、積極精神を充満させていよう。さあ常に思考素材の入れ替え法を実践するぞ!
虚心平気の大境涯に暮らせるようになろう
尊い人生を生きるには、「恒に世のため人のために」役立つ人間でありたい
等など色々な願望が脳裏をかすめることでしょう。
そして、死ぬまで学びです。
この後の学びのお勧めは、
天風さん流にいうと、人間としては「真人」を目指せとなるでしょう。「真人」とは、積極人間を卒業し、幾多の試練を乗り越えて、少々の困難にはへこたれない挑戦心と、少々のことでは驚かない不動心を備え、「人の模範となれるような人」のことです。天風哲学の「一般人コースの終了者」とでも表現しますか。
「真人」を私風に説明すれば、次々起きる世事に惑わされずに「余裕かくしゃくと適切に対処して生活を楽しんでいる人」と言い得るでしょう。色々な試練を乗り越えて、心にゆとりを持って生活している御仁ということになります。積極人間に成れたら、そんな悠々の人に成りたいのではありませんか。
私は、まだ「真人」に成り得ていませんが、幸いながら以前より「安心生活」を送らせていただけるようになりました。このホームページを開いたのも“天風哲学を学んだからには、是非「安心生活」に達して欲しい”という呼び掛けからでした。トップページでそのことを書いていますが、その事情は今も変わりません。積極人間に達せられたら、是非「安心生活」でお暮らし下さい。気掛かりな人生(心配生活)を送ってこられたなら、安心生活がどんなに素晴らしいものかを体験していただきたいと思います。ぜひ「安心生活」に挑戦してください。
そして「安心生活」に至れたら、まだその先があるのです。天風哲学の奥深いところですね。その先には「霊性生活」が在ることだけをお伝えしておきましょう。そこでは「仙人姿のアナタが飄々とした生活をしている」のではないでしょうか。
元気になられたら⇒本を読むなり天風会に入会するなりして学んでください
人生は死ぬまで勉強です。元気になられたら⇒関連の本を読むなり天風会に入るなりしてさらに学んでください。最後にちょっと、他で聞けない凄いことを紹介しておきましょう。
天風哲学では、並みの幸せを強調しません。「人生上の苦難を克服することを楽しみとせよ」と教えます。「何かあるのが人生だ」、どんな苦難も天の支えと自分の頑張りで乗り切るのだと。その覚悟があれば、イザの時に力が出せます。その覚悟がないと、幸せの絶頂から不幸の谷底に一直線に落ちてしまいます。
考え方が一味違うということです。
「ホームページ・ビルダー」ソフトの不具合で、「裏で書き換え中の文章がサイトに転送されて、元の文章が潰されて迷惑を被った(読者の皆様にもご迷惑を掛けました)」のですが、ものは考えよう。そのお陰で改訂版を急いで書き上げることが出来ました。急遽この仕事を仕上げなければいけなくなって大変だったわけですが、終わってみれば“感謝”なのです。
何があっても、感謝に思え。これが天風さんの大きな教えの一つです。私も、感謝出来るようになって、人柄が変わりました。もちろん、人相も変わりました。当然ながら運命も変わったと思います。災いも必死で戦って、何とか克服できたら「新しい感謝すべき境地」が現れます。この書き換えも一例です。逆に、隙が出来れば病も起きます。でも、病を届けられた天の意図を虚心に反省して、克服できれば次の高い境地に至れるのです。人生は、次々あって全く楽しいですね。超苦しくても、楽しいと実感出来るような人に成れれば最高ですね。天風さんに褒めて貰えるでしょうね。
長文をお読みくださってありがとうございます。
尚、メールでのご質問には答えられません(誤解や舌足らずでキチンとコミュニケーションをとるのが難しいため)が、是非私と意見交換したいとお思いの方には電話またはスカイプでの応答はさせていただきます。
「天の声行」から「積極行」まで、このホームページが役立ったと感じておられる方にお願いですが、地図のページの住所に「感想なり、難しかったところなり、苦情なり」を書いてお葉書を頂けると幸いです。それを参考に加筆修正した内容をお届けしたいと思いますから。どうぞよろしくお願いします。
日下 和信
2012.9.1