さらなる温暖化で豪雨は毎年起きるよ

2011.11.19

今後も大雨・洪水・竜巻・巨大台風に備えないと

この春先ひょんなことから、三重・和歌山にわたるお宮さん巡りをしました。早い桜が花を咲かせていてくれました。熊野神社。速玉大社・那智大社などを巡りました。
それがどうでしょう、先の大雨でそれらの神社は幾らかの被害を受けられたようです。遅まきながらお見舞いを申し上げます。

とりわけ、今度和歌山を襲った大雨、豪雨は、並の雨とは桁の違う感じのものでした。なにせ一雨で1,500㍉を越える雨量を記録したのですから。紀伊半島は、元々豪雨地帯で、中でも尾鷲が有名で、年間3,500㍉を越えるのですが、一雨で1,500㍉はちょっと聞いたことのない値です。大災害が起きてしまう値に違いありません。
それで思い出されるのは、ちょっと前の兵庫県・豊岡盆地の大洪水、あの時は通りかかったバスが動けなくなり、増え続ける水に追われて、乗客がバスの屋根に避難され、寒さに耐えて身を寄せ合って夜を越された映像です。その後では、兵庫県・佐用川の洪水です。予想を越える雨量と川幅が狭くなるところで、あたかも堰きとめられたかのようになって、あれよあれよという間に水位が上がってしまって、たくさんの家が床上にまで浸水してしまいました。死者も出ました。今度の和歌山の豪雨の時にも、佐用地方では、再び「避難指示」が出されたのでした。

今日も大阪は激しい雨が降っています。天気予報は「よく当たっている」わけですが、予報が当たっても被害を少なくする対策を講じない限り、人民にとってはまさに災難です。地震防災もさることながら、大雨に対する対策もキチンと施さないとまたまた大勢の人に被害が及ぶことでしょう。

いよいよ本題ですが、「災害は忘れた頃にやってくる」という言葉通りに、これからの豪雨災害は待ってくれないということをことを言いたいのです。忘れるまでも待ってくれないのです。厳しい現実として、忘れない内に次々と襲って来ると思わなければならない情勢だということです。正直なところ、前言を言い換えて「これからは、何時でも大雨が降る」と思っていなければいけない状況になってきたということです。さらに困ることに今後は「雨の降り方が尋常ではない」のです。時間雨量が50㍉はしばしば、100㍉さえ豪雨地帯では珍しいことではなくなるだろうということです。原因は明確で、“地球の温暖化”です。

昨今の激しい現実の気象状況から推定しますと、地球平均気温の0.1〜2度の上昇は、思った以上に強烈な効果を与えるようなのです。強い雨でしょう。巨大台風でしょう。それから、以前には起きたことのない場所での竜巻の発生でしょう。これらの異常気象の連続を見せつけられますと、わずかの気温上昇が「気象条件を予想以上に大きく変えているようです」(それは理論的にも予想できるのですが、実際の変化は予想以上に大きいように私には感じられます)。地球が太陽から受ける熱をほぼ一定だとすれば、温暖化の根本原因は、「文明生活による人工的熱エネルギーの増大」にあります。そうだとすれば、温暖化は、まだ向こう10年は止まらないでしょう。なぜなら中国・インドを中心として途上国のエネルギー需用の増大は、まだ当分収まりそうにないからです。

そうだとすれば、「大雨・洪水・竜巻・巨大台風」に対して、一時しのぎでない対策を施す必要性が高まるということになります。和歌山と言わず、雨の多い地方、川の排水性能の弱い地帯、地盤の弱い所などは、本気になって対策を講じる必要があると思われます。また個々のお家で非常時に備えると同時に、地域の防災対策として、幾らかでも被害が少なくて済むような対策を講じる必要があると思われます。生命を守るのは「最終的に自分である」。とっさの1秒が、生死を分けると思っておくことは大事だと思われます。公的な避難命令が出る出ないの問題ではなく、自分自身で判断する必要があるということです。災害に備えて、「何も起こらなかったら」それは幸いなことです。保険は「掛け捨てになれば幸いなのだ」とでもお考えいただき、悔いの残らない防災対策を「実施」しなければいけない段階に来たと思われます。私も、昨今本気で防災対策に取り組み始めました。
出来る対策を本気でして行かねばなりませんね。

別ページ、温暖化対策の「球冷却技術」に飛ぶ

投稿日 2011.11.19

トップにもどる