ブログ

大変な就職試験の難関を通り抜けて、やっと就職できたのにも拘わらず1年以内に退職を余儀なくされる若者が後を絶たない。まことに心痛む事態である。それに対応するためであろうと思うが、事前の就職体験(インターンシップ)が奨励されて既に久しい。そのために就活に忙しい上、職業研修まで負担が増えて、本来なら勉強に頑張ってほしいのに大学の勉強そこのけになっている。ある面、実に嘆かわしい。よく勉強しておいてこそ「良き職業人」になれると私は考えるが、大学では余り勉強しないで、就活にうつつを抜かす大学生など、あまり歓迎できるものではない。本末転倒している。……

「就職できたらの希望として」社会的教養がさほど育っていない大学生は、多分内心ではこう思っていることだろう。「就職すれば毎月月給が貰える」と。そうなればこんなことができるようになって嬉しいなと。それはそうだろう。親のスネかじりから一歩前進できて、毎月決まったものがいただけるのだから、そう思わない方が不思議ではある。ただ、そう思ってもいいけれど、「それだけのお給料をいただける会社の実状・仕組みぐらいは正しく知っていてもらいたい」ものだ。
税金でまかなわれている役所やそれに類した団体ならいざ知らず、民間企業なら「もらう月給」以上の利益を稼ぎ出さないと社員に給料を払ってやれないのが道理なのだ」ということを。
こんな当たり前のことも知らない大学卒業生が多くて、びっくりするばかりである。アナタは、そのこと知っていた?。考えたら当然だろう。民間企業では、井戸からお金が湧き出して来ないよ。しかし、社員には月給を払っていかなければならないのである。だったら、そのお金は経済社会から稼ぎ出してくるしかないのである。給料分以上、会社を儲けさせたといえる人は堂々と給料をもらってくれ。いや、「自分が稼ぎ出した取り分だとでも思ってもいいよ」。でも大半の新入社員は、入社したてでは、とても自分のもらう月給分以上の稼ぎは出来ていないよ。まず、ここのところをしっかりと自覚しないといけない。
もらう月給分の利益を稼ぎ出したかどうかだ。
稼げていないとすれば、この月給は「自分の実力で貰えているのではないと」謙虚に思わなければならない。それが自覚できたら、「この月給は、社長をはじめ先輩社員のスネをかじってもらっている」ことに思いが至る。この思いに至れば、社会人スタート、合格である。特別の例外を除いて、大半の新入社員は、月給以上の稼ぎは出来ないものである。それで月並みだ。だけど全て順繰り、世の中はうまくできているもので、殆どの新入社員は、そのようにして会社人間を始めるのである。だから「勤め始めは、先輩社員のスネをかじっていることを肝に銘ずべし」なのである。だけど順繰りだから、恥じる必要はない。恥じる必要はないが、「なるべく早く自分の月給分以上稼ぎ出せる社員になれるよう」心掛けるのがよいだろう。

では、どうして稼ぐかであるが、まともな会社は、「社会のために役立つ仕事をしてきて」(社会的ニーズに対応している)利益を上げてきている。社会の(お客さんの)役に立つ仕事をして、礼金のような意味で、対価を支払って貰っている。それが会社の売上になる。アナタはこの仕事の一角に従事していることになっているはずだ。だから、その仕事でアナタがした仕事が、アナタが産み出した「売上」である。ちゃんとアナタも稼いでいるわけだ。ただ、常識的に考えても解るが、売上がそのまま利益であるわけがない。その売上を上げるためには、出向くなり、商品を仕入れるなりしたために使ったお金があるはずだ。即ち、掛かった費用だ。それは売上を達成するために必要な費用だったはずだ。その経費を、必要経費と呼んでいる。
それを単純化すると、売上−必要経費=粗利益⇒アナタが稼ぎ出した利益の最大値
となる。この「あらりえき」からアナタの月給がまかなえるようになれば、立派な社会人ということになるだろう。さらに経験を積んで、今度は後輩の分まで稼ぎ出してやる社員に成らねばならない。そこまで行けば堂々たる社会人である。

これが大雑把な民間企業に勤める社員の経済関係理解である。会社のサービスとは、社会が・お客さんが必要としていた仕事をさせていただくことである。そして、お客さんが必要としていた仕事を「して差し上げた」ことへのお礼金をいただき、社会分業体制が出来上がり、経済関係も同時に機能するのである。お礼金としてサービスを買っていただけることは、とてもありがたいことである。まさに人様にお役に立てて、自分の仕事が存在していることを実感できる時である。
しかし、頼まれもしないことをして、お金を請求すれば、「押し売り」で犯罪になる。自分勝手に考えを進めると「押し売り」の間違いをしてしまう。社会的経験の不十分な新入社員では、エライ悪気でなしに「自己中心的考え方から」、相手の望まないことをしてしまうことがある。しかし、それは間違いで、その時は直ちに「自分が間違ったことをしていることに気付いて謝り、言動を取り消さねばならない」。「社会のお役に立つ」とは、「困っている人に正当な手段で問題解決を提供すること」で、“相手本位にたった”考え方で対処しないといけない。自分本位の考え方で対処するとついつい失敗をしてしまうので要注意である。「相手に良かれ」と心掛けるのが、ビジネスの基本中の基本で、それが身に付くと仕事に自信が持てるようになる。何時そういう心境に辿り着けるかである。

その辺の「ビジネスでの最初の悟り」のようなものに気付けると、仕事が楽しくなってくる。仕事の何たるかみたいなものが自分ながらに解ってくるからだ。そうなれば、自分のビジネスに適切な工夫が出来るようになってくる。「どんな配慮をお客さんが喜んでくれるかが」解るようになってくるからだ。そうすれば、“ビジネスの鉄則=人が困っている所にビジネス有り”ということが見えてくるだろう。「困っているのを助けてやる」。そこにビジネスの原点があるのだ。主客逆転しても同じだよ。今度は自分が困っていて、助けていただくことになるのである。

この辺の視野が開けてくれば、ほぼビジネスマン一人前だ。どこに新しいビジネスの種があるかまで見えてくるからだ。この視点が出来てくれば、「アナタには起業するチャンスが巡ってくる」。起業の時の問題は、その問題解決をアナタ自身が得意としているかどうかになる。その仕事が好きかどうかにも関わる。アナタの将来の夢に繋がるかどうかにも関わる。全てがイエスなら、機が熟せば「アナタが会社を立ち上げるべきチャンス到来だ」。それはそれは、めでたいではないか。

そんな夢のような展望が開ければ最高だが、社会人1年生から「そう大それたことを考えなくてよろしい」。まずは駆け出しなのだから、分を弁えて将来の夢に取っておくのがよいだろう。だって、起業するには「経営するための諸々の知識と決断力、実行力、それと資金がが不可欠なんだから」。単にベターな展望が開けたというだけで、起業に走るのはリスクが高いことも知っておかなければならない。将来、自分の夢の実現のために起業するつもりとしても、新入社員として入社した時は、まず仕事を覚えることで、余裕が出て来れば経営という視点からも会社の仕組みを学ばせてもらう気持ちになるとよい。そうすれば一挙両得である。

夢を膨らませておいて申し訳ないが、ここでちょっと注文あり。
就職する企業が、自分の夢に直結しているのは就職する側にとって有り難いことではあるが、気を付けないと“夢が先行してしまう危険がある”。これが就職のミスチョイスを産み出していると思われる。夢先行すると、実際の仕事で希望的観測が裏切られる印象になるのだろう。それなりに夢を抱いて入社するのだけれど、実際の仕事は自分の描いた夢とほど遠く、来る日も来る日も「自分にとっては納得のできない現実対応ばかりで」ついには失望感に落ち込んでしまうのである。今の若者は、ネット上で、コンピュータの上で、余りにも簡単に問題が解決してしまう環境に育ってきている。ついつい同じ感覚で、世の中も動いていると錯覚しているんだね。しかしながら、実社会の問題は、そう簡単に解決つかないんだ。これまでの問題解決は、答を探せば良かった種類のものだけれど、実社会の問題は、「考えないと」解決できないものが殆どなのだ。その上、問題そのものが「人の気持ち」や「解決法がまだ知られていないもの」であったりするわけで、考える習慣が出来ていない若者には、殆どお手上げ状態なのである。現場に立って、どうすればよいかを考える。タダ、それだけのことなのだが、考える習慣のない人には、対応不能になるね。学生時代と実社会でのここの意識のギャップがなかなか埋められないところが困難点なのだ。

「この意識のギャップ」が、折角いい会社に就職したのに、すぐに辞めてしまう現象を作り出していると思われる。この意識ギャップの解消については、まだ議論が盛り上がってきていないが、就職する方としては実に重要な問題で、軽々に考える問題ではない。ナゼなら、折角就職出来たのに、すぐにプータローになってしまって、元も子もなくしてしまうのだから。今はまだ「とにかく就職すること」に関心が行っているが、実際は就職後、変なことにならないように考慮する就活が大事になっている。これからの就活では、「この意識のギャップをどう埋めるか」を見据えたところで取り組まないといけない。(即ち、考えさせる教育をしないとダメだということなのだ。)ぬか喜びにならないために。だからインターンシップに行くチャンスがあれば、「入社後当面の仕事への関わり方と夢の実現との相互の関わりについて」よほどクールに自分の意識を分析し、“とかく夢先行型に成りやすい気分”を引き締めたいものである。
解り易くストレートに言うと、日本の今の学校教育体制は、まったくもって生温く、知識だけの現実感のない教育をして来ていて、“若者を甘っちょろいもの”に育ててきている。しかし、実社会では、世界的な競争環境に置かれているわけで、「甘っちょろい」考え方では、生き残ることさえも難しいのが実際だ。ここのところを確と認識して、現実の状況に対応することを積極的に学ぶように努力する必要があるのである。実社会の厳しさを認識した方が、サバイバル出来ることは確かであるからだ。

厳しい現実を指摘しつつ、もう一つ大事なことを書いておきたい。
それは「今貰える給料や稼げる能力だけで就職を考えないことね」。たいていのビジネスモデルは30年経てば変わるもの。シャープの液晶だって、今や曲がり角だろう。仕事にロマンとちょっと野心を持っているような人は、今の花形会社に就職したら、まず失敗だね。だって、その会社は、現在が最高なんだよ。その例は、友人にも、教え子の中にもあるよ。花形会社は、大勢が受験して、合格するのがことのほか難しいんだが、残念ながら好調期間はそう長く続かないと思ってくれ。お婿さん捜しにはよいかもね。でも、早晩斜陽になって、その先が辛いけどね。だから、今は給料が安くても、2〜30年後に夢が実現するように遠くを見つめて就職先を考えて欲しいと思う。今や平均余命で考えると、男で60年、女で70年生きるんだからね。日本社会がこの後もほぼ順調に推移するとして、50年後に定年だね。なかなか50年後を見通すのは難しいよ。

このニュースを聞いて、日本人学生として「どう思いますか」。この厳しい就職難の最中にこんな無惨なニュースが流れるのです。これが現実で、「無策、ニッポンの象徴」なのです。賢くない国会議員が大勢働きに合わない高給を取りつつ、片や少子化で「広き門のはずの若者の就職」が難しい。そんな状況の中で世界展開を考えているような日本の大手というか、世界に出て行こうという将来性のある会社が、就職先のない学生を眺めつつ、留学生の採用を積極化しようというのです。今回は、このニュースの背後を分析してみましょう。

この話はとても奥が深いですぞ。言わば「ダメ日本の無策の重層構造の産物」でしょう。広く分析すれば、一冊の本になるでしょう。それを極々手短に関係あるところだけを書きます。

「留学生の積極的採用」を表明した企業は、“留学生の優秀さ”を採用の一つの理由に挙げています。留学生は、母国語と日本語が出来るので、言葉の問題で難点が少なく、尚かつ、母国に確固とした人脈を持っているので、進出企業としては「彼ら留学生の人脈が利用できるメリットがある」と考えています。そういう理由は、成る程一理あるのですが、それじゃ忠誠心はどちらの国にあるだろうかという問を立てると、メリットとデメリットが象徴的に現れてくることになるでしょう。
それはそれとして、就活問題を考えるというなら、翻って“ナゼ日本人学生が採用されなかったか”を考えないわけにはいきません。
優秀な日本人学生がいたらそれはそれなりに採用すると思えるのですが、そうならずにインタビューのコメントの通りなら、比較優位として「留学生が優秀だった」のです。それはそれなりに大きな理由になったのだと思えるのです。この後の議論では、多少推測の域を出ないところがありますが、その不確かさを考慮した上で考えてみましょう。

「留学生が優秀」という理由の裏には「日本人学生より」という但し書きが付いていることになりますね。これはおおよそ私も認めざるを得ないところです。まあ単純に言って、最近の日本人学生(以下、学生と書く)は「勉強しませんね」。残念ながらそれを認めると、これで勝負有りですね。負けです。採用側から見て“採用出来ない”と判定せざるを得ないのでしょう。実に深刻な問題です。ここを何とかしなければいけないというのが、今回の文章の基本問題です。

簡単にそう判定しても、直接の被害を受けるのは現在の学生諸君です。私も辛いですよ。でも、“やりきれない現実を直視する”ことも避けられないことだと思います。残念ながら「ここが原点なのです」。

「ゆとり教育」というとんでもない教育が実行されて、学習内容がウンと少なくなってしまいました。その結果、社会常識として知っていそうな事柄さえ「教えられていないので知らない」という状況になりました(昨年度卒業した大学生からが、「この教育の被害をモロに受けていること」になります)。これは教育制度の結果であって、「学生諸君の責任ではない」のですが、就職戦線では「実力本位」であればあるほどそんな言い訳は通用しません。実力で勝負するしかないのです。
だから、今年も、この後の卒業生も被害者になるのでしょうが、これまでの教育から来るこのハンデキャップを解消するように勉強しなければ、就職戦線でなかなか日の目をみることが難しいでしょう。厳しいでしょうが、現実です。

だから、就職しようと真剣に考えている学生諸君は、「こんな環境に負けてはなりませんゾ」。そして周囲の怠け者に同調していれば、“アナタ自身の人生がダメになるのです”。まだ、救いはあります。勉強する気になれば、インターネットを先頭に、文明の利器は十分普及しました。図書館の蔵書・設備等は確実に良くなっています。“勉強する気があるならば、学ぶには過去最高の環境になっている”のです。サボルのは、アナタの勝手です。
大学は、アナタの能力を開花させるべき施設と割り切って、勉強に勤しむとよいのです。周囲に私語する(外国の大学では考えられない状況)学生が居れば、黙れと叱り、それでもうるさかったら、前列に席を取って熱心に授業を聞く努力をしなければいけません。あなた達はダメな教育制度の被害者で気の毒ですが、「生温る教育のツケ」を払わなければならない運命になってしまったのです。実力を付けないと損をするのはあなた自身なのです。ここは、一生懸命勉強するのが有効な対策です。熱心に学べば勉強は、楽しいですから、集中してやってください。勉強モードへ考え方を切り替えましょう。

「大学では、学問を修めよ」といいます。大学では、ただ覚えても仕方がないのですよ。学問は、「その学問を修めて得られる観点からの“ものの見方・考え方”を身に付けるために」するものです。だから、たくさんの学問を修めることで、ものの見方が多面的になれるのです。これが学問をする原則論なのです。人生で遭遇する色々な場面で、「その場面をどう理解して、どう具体的に対処するか」が人生航路の航海術です。あなたの航海術は、身につけた学問からのものの見方で補強されて強力なものになっているはずなのです。その基礎基本を学ぶのが「学問」なのです。勉強して損はないことが解るでしょう。

これを読むアナタは、何年生かは知らないですが、「学業を終えて、晴れて就職して働く高い志」を持っているならば、この文章を読んだ、今が決心のチャンスです。もしもこれまで生ぬるい気持ちで大学生活を送っていたのだったら、今から真剣に「学問を修める決心をしなさい」。大学へ行く意義は、昔もこれからもこれしかないのですが、このことを知らずに大学生活を送っている人間が日本の大学では多すぎるのです。親が行けと言うから来ているだけだとか、レジャーランドのような気分で大学へ来ているなら、それは大変な間違いですよ。勉強は、親でも他人のためでもない、アナタのこれからの人生を有意義にするためにしているのだからね。さあ、今日からと言わず、今から、真面目に勉強しなさい。学問を修めなさい。それが、就活の当然すぎる有効な対策なんだから。

高校を出て、「4年遊んだ、役立たずの人間を」アナタが社長なら採用するかい。採用しないだろ。役立つ人間を採用するでしょう。中味のない人間に給金を払ってくれるほど今の企業に余裕はないのです。大人の人生は、子供の頃の遊びの延長ではないんだよ。

今後も大雨・洪水・竜巻・巨大台風に備えないと

この春先ひょんなことから、三重・和歌山にわたるお宮さん巡りをしました。早い桜が花を咲かせていてくれました。熊野神社。速玉大社・那智大社などを巡りました。
それがどうでしょう、先の大雨でそれらの神社は幾らかの被害を受けられたようです。遅まきながらお見舞いを申し上げます。

とりわけ、今度和歌山を襲った大雨、豪雨は、並の雨とは桁の違う感じのものでした。なにせ一雨で1,500㍉を越える雨量を記録したのですから。紀伊半島は、元々豪雨地帯で、中でも尾鷲が有名で、年間3,500㍉を越えるのですが、一雨で1,500㍉はちょっと聞いたことのない値です。大災害が起きてしまう値に違いありません。
それで思い出されるのは、ちょっと前の兵庫県・豊岡盆地の大洪水、あの時は通りかかったバスが動けなくなり、増え続ける水に追われて、乗客がバスの屋根に避難され、寒さに耐えて身を寄せ合って夜を越された映像です。その後では、兵庫県・佐用川の洪水です。予想を越える雨量と川幅が狭くなるところで、あたかも堰きとめられたかのようになって、あれよあれよという間に水位が上がってしまって、たくさんの家が床上にまで浸水してしまいました。死者も出ました。今度の和歌山の豪雨の時にも、佐用地方では、再び「避難指示」が出されたのでした。

今日も大阪は激しい雨が降っています。天気予報は「よく当たっている」わけですが、予報が当たっても被害を少なくする対策を講じない限り、人民にとってはまさに災難です。地震防災もさることながら、大雨に対する対策もキチンと施さないとまたまた大勢の人に被害が及ぶことでしょう。

いよいよ本題ですが、「災害は忘れた頃にやってくる」という言葉通りに、これからの豪雨災害は待ってくれないということをことを言いたいのです。忘れるまでも待ってくれないのです。厳しい現実として、忘れない内に次々と襲って来ると思わなければならない情勢だということです。正直なところ、前言を言い換えて「これからは、何時でも大雨が降る」と思っていなければいけない状況になってきたということです。さらに困ることに今後は「雨の降り方が尋常ではない」のです。時間雨量が50㍉はしばしば、100㍉さえ豪雨地帯では珍しいことではなくなるだろうということです。原因は明確で、“地球の温暖化”です。

昨今の激しい現実の気象状況から推定しますと、地球平均気温の0.1〜2度の上昇は、思った以上に強烈な効果を与えるようなのです。強い雨でしょう。巨大台風でしょう。それから、以前には起きたことのない場所での竜巻の発生でしょう。これらの異常気象の連続を見せつけられますと、わずかの気温上昇が「気象条件を予想以上に大きく変えているようです」(それは理論的にも予想できるのですが、実際の変化は予想以上に大きいように私には感じられます)。地球が太陽から受ける熱をほぼ一定だとすれば、温暖化の根本原因は、「文明生活による人工的熱エネルギーの増大」にあります。そうだとすれば、温暖化は、まだ向こう10年は止まらないでしょう。なぜなら中国・インドを中心として途上国のエネルギー需用の増大は、まだ当分収まりそうにないからです。

そうだとすれば、「大雨・洪水・竜巻・巨大台風」に対して、一時しのぎでない対策を施す必要性が高まるということになります。和歌山と言わず、雨の多い地方、川の排水性能の弱い地帯、地盤の弱い所などは、本気になって対策を講じる必要があると思われます。また個々のお家で非常時に備えると同時に、地域の防災対策として、幾らかでも被害が少なくて済むような対策を講じる必要があると思われます。生命を守るのは「最終的に自分である」。とっさの1秒が、生死を分けると思っておくことは大事だと思われます。公的な避難命令が出る出ないの問題ではなく、自分自身で判断する必要があるということです。災害に備えて、「何も起こらなかったら」それは幸いなことです。保険は「掛け捨てになれば幸いなのだ」とでもお考えいただき、悔いの残らない防災対策を「実施」しなければいけない段階に来たと思われます。私も、昨今本気で防災対策に取り組み始めました。
出来る対策を本気でして行かねばなりませんね。

別ページ、温暖化対策の「球冷却技術」に飛ぶ

トップにもどる