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元気今のご時世は、地震や原発トラブルで、とかく気が滅入りがち。それは人間の自然な姿で、ある面仕方のないこと。圧倒的な自然の力に打ちのめされたのだから。

そうはいっても、気が滅入ると「人は消極的発想に傾きがちになる」。でも、悲しいことに生きている限り「お腹も減るし、トイレにも行きたくなるのです」。これが、肉体を持つ命の悲しさであり、反面「生きて行かねばならない生き物の宿命」。後ろ髪を引かれる思いを持ちつつも、前に進むしかないのです。そんな時こそ「力だ、勇気だ、信念だ」と叫んで(両手を握って肩の前に構えて、「力だ」で前に一杯伸ばし、「勇気だ」で肩の前に引き戻し、「信念だ」で上に突き出す。これに言葉を付けて3回繰り返す)、自分自身を鼓舞激励しようじゃないですか。大勢でやれば尚元気が出ます。

こんな時こそ、「元気を出さなきゃ」、気持ちを鼓舞激励しなきゃ、運命に飲み込まれて打ち負かされてしまうだけ。だから3回。「力だ、勇気だ、信念だ」「力だ、勇気だ、信念だ」「力だ、勇気だ、信念だ」。終わればみんなで拍手をしよう。

実は、上に紹介した「力だ、勇気だ、信念だ」の三唱は、中村天風さんが奨励した元気の出し方なのです。やってみれば解りますが、なかなか効果のあるものなんですよ。

私の二人目の師匠は、著書で出会った「中村天風」という哲人なのです。彼は、大正から昭和にかけて日本中でかなり知られた人物だったのですが、近年は知る人が少なくなっているようです。でも、有名さの度合いは別にして、彼の説いた哲学は、とてもパワフルで且つ実用的なものです。どうすると良いのかの具体的対処法が示されています。この元気の出し方もそうです。彼の哲学は、「天風哲学」と言われ現在もなお愛好の人々に学び続けられています。私もその学徒の一人なのです。

私が天風哲学を学んで非常に勉強になったことの一つに、「お前は、この世に何をするために生まれてきたのか」という問の答を知れたことです。実際のこの問答の場面は、はるか昔、ヒマラヤの高峰の麓のヨガの里で展開されました。それは、結核で死の淵にあった中村三郎青年(35才)に、当地のヨガの大聖者カリアッパ師の出した「公案」に答えるシーンなのです。師は、先の問を三郎青年に与えます。そして、三郎は「これまで真剣に考えたことのない公案に答えるため、何日も瞑想して考え続けるわけです。そして、考え付いた答を申し上げに行くのです」。答を持ってきました。「それは、宇宙の進化向上を促進する人間として生まれて来たのだと思います」と。間違った答をすれば、ひどく殴られるだけなので、距離を取って答えたのでした。そうするとカリアッパ師は、“それで正解だ。よく考えられたな”と軽く褒めてそれだけで終了します。

やり取りはそれで終わるのですが、自分自身でその答をじっくりと吟味してみると「えっ、そうなのか?」。オレは「宇宙の進化向上を促進するために生まれてきたのか?」。ウソっ。へえーっ。と感心するやら、腑に落ちないやら。そんなこと考えたことなかったなぁ、と嘆息してしまうのがオチでした。

皆さんは、どうでしょうか。若かりし時の天風(三郎:当時)も、そんなことを考えたことがなかったし、私も考えたことがなかったです。今さらながらですが、ここで真剣に考えてみてください。「何のために生まれてきたのか?」と

何かの悩みで絶望的になって死にたくなるような時などに、なんとなく頭に浮かぶ問いだけれど、多くの人は、その答を真面目に考えたことはないのではないですか。

そして、真面目に考えてみれば、「天風さんの答は、なるほどもっともだなぁ」と思わせられるのです。そして、しんみり「なるほどなぁ」と感じ出すと「アナタは、ワンランクアップ出来るのですよ」。地球上に生を受けた意味を知る人の仲間に入れるのですから。

この一文を読んで下さっているアナタ。アナタはこの世に何をするために生まれ、今日を生きて居られますか。

「……うーむ…」。今すぐ答が出なくてもいいですよ。大多数の人は、真剣に考えたことのない命題なんですから。答えられなくて「人並み」ですから、堂々としていて下さい。

そのかわり、「今日寝るまで、“宇宙の進化向上を促進する人間として生まれてきたのか!ホントかな?”と疑いつつ考え続けてみてください。本当に考え続ければ、今日中か1週間以内の近い内に「その答が、ズシンと重く頭の一部を占領することになるのです」。そして、考えれば考えるほど、「その答え」は重みを増し、自分の思想が徐々に変化して行くのを感じるようになるのです。

ある程度の時間の後、「この真理に頭脳だけでなく、感情的にも納得出来てくると、ちょっとずつながら確実に自分自身の人生の位置付けが変わって来ることを体験されることでしょう。

地震があり、津波に襲われ、原発事故まで起きて、日本中の人々が「しばらくながら、これからの人生をはかなんだことでしょう」。でも、生まれてきた意味を自らに問えば問うほどに、そこはかとした気分が湧き出て、いつまでもメソメソしていられない気持ちになってくるから不思議じゃないですか。

中村天風は、決まり文句をたくさん持っている人でした。「何かあるのが人生だ」もその一つです。誰でもが、「平穏無事」を祈りますが、そうはいっても実際は、「何かあるのが人生なのです」。いつ何時番狂わせが襲うか解らないのです。事実、ふいにマグニチュード9.0の地震が襲い、僅か30分ほどの間に、日本中の人間の気分は「大転換してしまいました」。なんと無常なことでしょう。短時間の内に、事が有りすぎたくらいです。津波は見る見るうちに、家を船を自動車を大勢の人を飲み込み押し潰していったのでした。
天は、阪神淡路大震災だけで満足せず、東日本にさらなる致命的被害を課したのです。おお、何と言うことを!

戦後65年間、ほぼ平穏無事だったのが、奇跡的なんです。そして「平和ボケ」でやって来たのでした。みんなで渡れば恐くない。国民の総体が、「人生を真剣に生きて来ていなかったのではないでしょうか」。もう四十年も前から高度成長で、日本人は浮かれ過ぎてきたのです。そしてバブルに踊り、挙げ句の果てにバブルが弾けて、不況が約二十年。今度は「生き方が解らない、間違った人達」が次々と出て来ました。その人達は、なぜだか「見知らぬ人を殺しました」。これまでの日本人の範疇では考えられないような人達が、数では多くないものの次々と出て来て、「世の中が面白くないのでと言って、殺人事件を起こし「自己顕示」の中で表の人生を閉じる人」が相次いだのでした。ここに「日本人の変質」の極致を見る思いが致します。そして彼らは、地上に生を受けた意味など考えたことがないのです。このタイミングでの大地震です。阪神淡路大震災だけでは、目が覚めなかったのですね。

それでも、21世紀のこれから後、日本が世界平和に先導的な働きをして貢献しなければならない役目を負っていると見るのは、私だけでしょうか。いいえ、そうではありません。日本の「心あるかなり多数の人達」は、この後の世界に「如何にして平和を築くか」を本気になって考え始めているのです。それは正に「世界の中の日本の役割」なのです。「先進国中、唯一の“性善説”がまだ細々と生きている国、日本」は、八百万の神を戴き“宗教的寛容性”を持ち合わせている国でもあります。一神教の国では、他の神への寛容性はありません。他の宗教は、即敵なのです。まさに「剣か、コーランか」の選択であり、勝つか負けるかで決するしかない過酷な宗教文化の世界なのです。そのような宗教を包み込んで世界平和を築くためには、それらの国々が「妥協しつつ、争わないで生活して行かねばならないのです」。その困難な橋渡しの役目を地球上の誰がするのでしょうか。……

このような国際的任務を負っていると思われる日本が、現在、ナゼ故に、このような激しい「天からのお叱り」を受けねばならなかったのでしょうか。

天は、叱っておられるのです。「昨今の日本は、本来の日本の進み方でないぞ。昔の日本の良さを取り戻し、さらにその良さを一層高めるように国中で努力しないとダメだぞ」と。

私達、日本人は、今しばし、立ち止まって、「来し方、行く末を」考えてみなければなりません」。そうしないと、“この国難を、どう受け止め、どう対すべきか”の判断を誤る恐れが強いように思われます。例えば、津波の水が引いて、海水面が元に戻ったからといって「元在った家の場所に再び同じ様な家を建ててはいけないように思います」。将来、再び津波に襲われても、農地は水を被るにしても、家も人の命も奪われないような町作りをしないとイケマセン。それこそが、「日本人の生き方が“進化向上する姿”なのではないでしょうか」

未曾有の災害で「多数の命が失われました」。そして、生き残った我々は、「この地球に“生を受けた理由”を深く考えつつ、より人間性を高め、生き甲斐のある人生を追求したいものです」。

それらの諸条件を勘案して、尚かつ、運命に翻弄されながらも「自分の人生、自分で決める」という原点を見つめて生きていきたいものです。

日下教育研究所 所長 日下 和信

就職は、結婚と並んで「人生の一大事」だ。やり直しはきくけれど、出来ればスムーズに出発したいものです。

そしてね、就職も、結婚も「相手は一社、または一人」なんですね。たくさんお見合いしても、最適な一社とご縁を作らないとダメなんですね。「この一枚のエントリーシートであの会社とご縁を築く」と思い入れて応募して、その思いが叶ったなら、書く必要のあるシートは、一枚だけかも知れませんよ。そのくらいの重みのあるシートを書けば、一枚が目立って無視されてしまうことはないのですよ。(たくさんシートを出してもアナタのシートはどの会社に対しても“1枚”でしょう。一枚のシートであることは同じなんですよね)。それが解れば、「一番の意中の会社に最良のラブレター」を書けばいいのではないですか。‥‥

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かく書いている私もキチンとした就職が決まったのは、29才の時でした。そして、今ほどの就職難でもなかったのでした。それにも関わらず、良いご縁が出来ずに高校で非常勤講師を続けていたことを思い出します。でも私の場合は、それで良かったと思います。研究職に就いて、勉強を続けたいとかなり強く望んでいたからです。待てば海路に日和が出たのでした。

私の話から書き出したのは、大学入試で浪人、院を出て浪人、本当の就職までにかなりな紆余曲折があったので「昔に就職で苦労した同輩」だと知って貰った方が、話を始めやすいと思ったからです。

それで、初回の話は、「友人の娘さん(大学4回生)の就職がジグザクしつつも、何とか決まった話」から始めましょう。昨年の夏休み8月の末のことでした。友人がオフィスに訪ねてくれることになっていたのですが、到着して早々に、タイミング良く娘さんが傍まで来ていて、まだ就職が決まらないと話し出すのでした。私は、このタイミングの良さにピンと来て、お役に立てるかどうかわからないけれど「じゃぁ、実際に会ってお話を聞きましょう。来て貰ってください」と応じました。程なく娘さんは来ました。そして、情況を教えてもらいながら、どういうアドバイスが良いのかを考えて行きました。

聞けば、40社ほどエントリーしたようで、その内2社は最終面接まで進んだようですが、内定が得られないと言いました。

私は大学教員としては、ちょっと変わった経歴を持っているつもりです。何かと言えば、ワンマンオフィスながら、大学に勤めつつ今年で18年間有限会社を経営して来たからです。その意味で、一応経営者の顔を持っていて、世間の経済情勢についてある程度知っているつもりだからです。また、短大では長年学生の就職指導にも関わってきました。そして私の面接の特訓を受けた学生は、程なく就職が決まりました。そんな実績もあり、この経済状況の見極めもある程度していましたので、それで最悪「こんな商売が小資本で出来るよ。やってみたら」という提案を隠し球に持ちつつ、彼女の就職活動の実際を聞いていきました。

そうすると「最初の第一問から、困った答を返してくるのでした」。

私 :「40社、どういうところにエントリーしたの?」
彼女:「営業とか人前に出る職でなく、事務職がしたいので」
私 :「専攻は何でした」
彼女:「英米語学科です」
私 :「トイックでは、何点ぐらい取っているの」
彼女:「×××ぐらい」
私 :「そのぐらいの点では、売りにならないね」

こんな話をして、最終選考に残った会社の話を聞きました。そして、彼女の就活の間違いと思える点の解説に移りました。

彼女の話では、大学の就職ガイダンスで「掲示している求人票から出来るだけたくさんエントリーしなさい」と指導されたようです。そして、それを言葉通り理解して、事務職という指標で、家から通える範囲の「良いと思える会社に次々とエントリーしていった」と答えました。
今時の就職ガイダンスでは、もっと色々な注意や指導が為されていると思うのですが、意識に残ったのは上の指示だったようです。

– 途中 省略 –

私は「良い時(8月下旬)に来たね。まだ十分な活動時間が残っているので、焦らずにこの後色々考えて“就活していきなさい”」と言いました。その後の頑張りで、彼女は、大手自動車会社の販売部門の事務職に就職が内定したと友人から年末に聞きました。(それは良かった。おめでとうと内心安堵して、喜びました)
友人:父親の話では、私と話して、約一ヶ月会社訪問は止めたそうです。色々と考えていたようだと話されました。(それがとても大切です。作戦変更のために自分の心の中を分析・整理されたのだと推測します)

多少お役に立てて良かったと思いますが、この話は他人事ではないのです。実は私の娘が今年度就職口を探さなければならない身の上なのです。果たしてどうなることかと少しばかりは心配しております。

個人的なことはさておき、彼女の話は、実話です。彼女の最大の間違いは、「事務職なら、どこの会社に務めてもほぼ同じ感じだろう」と独り合点していたところでした。確かに、事務職と括れば、会社が違ってもほぼ同じ様な仕事をする事になるでしょうが、そうは言っても、扱う商品(興味の有無)から使う知恵(ルーチンワークor考える仕事)まで、実際は事務職と言っても千差万別です。そこの微妙さに気が付けなかったのです。そこが解れば、事務職と言えども一括りに出来るものでなく、「自分の特性」と「やりたい仕事」のマッチングに、一生懸命に成って調べたことでしょう。(私と話した後は、そのマッチングに意を用いて、会社の事も考え的を絞ってエントリーしていったようです)

この話をまとめましょう。

★「なるべく多くエントリーしましょう」というガイダンスは、文字通りの単純さで聞いてはいけないこと。

「下手な鉄砲じゃ数打っても当たりません。せめて的を絞らないとダメです」。たくさん受けてもダメですよ。受ける会社への思い入れも無く、たくさん受けても、面接者は「なんや冷やかしか」と思うのではないでしょうか。それでは真剣に就職しようという気持ちが伝わらないからです。気楽な気持ちで入社試験を受けに来られると「会社の方は迷惑ですよ」。求人のために相当な費用を使っているのが普通なのです。そんなことも社会人になるためには知っていないといけません。

★「職種」で括ってはいけません。

職種は、就活のために「大きく括るのに使われる」必要性があって利用されますが、求職側は、安易に同じ仕事をすると考えてはいけません。自分に強い興味がある商品を扱うのと余り興味のない商品を扱うのでは、「仕事に取り組む気持ちがうんと違って来ることが解るでしょう」。「職種」は、図書館で言えば、“大分類”で、実際に探す職は“読みたい本”に当たります。どんな内容の仕事がしたいのかを決めるために、「会社選び」をするのです。会社はどこでもいいというのは、“関係していたらどの本でもいいから読もう”という気持ちで本を探すようなものです。それではダメでしょう。

★「就職」は、社会人として生きていくための「社会との接点」を作ることになります。

学生という身分は、勉強中で、未だ修行中ということです。修行を終えて一人前なわけです。職に就いてからが「万物の霊長としての人間の本当の人生」が始まるわけです。自己責任原則の基で、社会的ルールに則っていれば、公序良俗に反しない範囲で、「自由な行動が許されるという特権」を手にすることになります。即ち、「自分の人生を精一杯に生きられる条件を得られた」というわけなのです。

★就職し自分の人生を一生懸命に生きていくわけですが、現在の日本は、資本主義の下で動いています。

それは、単純に言えば「何をするにもお金が掛かる」ということです。この事実が身に染みるくらい解れば、「コスト意識が身に付いた」と言い得るでしょう。このコスト意識を持つことはとても大切なことで、「生き金と死に金の違いが解ってきます」。また、職業に就いたが故に、「給料」がもらえます。それは、職業を通じて「社会に貢献した事の証明」でもあるわけです。そして、そのお金が、今度はアナタの生活を支える生活資金になります。社会に貢献してお金をいただき、そのお金を使って、今度は社会から色々なサービスを提供して貰って、自分自身の人生を生きていくということになっています。

人生のこのような重大な場面に「就職」という難関があるということです。大人としての人間としての本当の人生がここから始まるという地点が、「就職」して働くということになります。そのような人生の大きな見取り図を描かれて、就職活動に当たられますように、お願いしておきます。

foo020ウツは、怖い病である。ウツ状態で、さらに気持ちがうんと落ち込むと「自殺衝動」が出て、かなりの人が実行してしまうからだ。そして、困ったことにここ10年以上、自殺者が3万人を越えているというのだ。おまけに「バブル後」は、ずうっと不況が続いている日本だから、精神的ストレスに加えて、経済的苦境で、「打開策を考えるよりも、苦悩に押しつぶされがちになってしまう」からだろう。
そこで、今日考えてみようと思うことは、ストレスを貯め込む一方にして「ウツになるか」、開き直ってしまって気持ちを爆発させてしまうかを考えましょうということである。そして、その問題を考える時に、現在直面しつつある、日本の情況も加味して考えましょうということである。

今の日本は、「正味大変な情況の中にある」。楽観を許さない。しかし、“日本だけじゃないのである”。この後、直ぐか数年以内に、「米ドルの暴落から始まる経済危機」が勃発するらしいのである。日本は、20年間デフレの真っ只中を通ってきたわけだが、まだまだ「マシな国らしい」。だから「円高」なのである。ポイントは、ドル札の刷り過ぎで「ドルの暴落なのである」。だから日本銀行も、負けずに円を刷って、日本国債を買い取って、チャラにしてしまうのが面白い対処法と思うのだが、そんなことはやりそうにもない。日本は生真面目だから輸出は、ますます困難になり、輸出に頼っていては国難を打開できないだろう。ここは、輸出を諦め、内需経済である。国内でお金を回すことである。お金を回せば、生産は伸びて、GDPは上がるのである。そうすれば、国民所得は増やせるのである。とりわけ、食料生産に情熱を注ぐことが良いのではと思われる。耕作できる農地や畑を耕し始めねばならないと思われる。規格外の農産物や市場の流通に乗らなかった魚なども、「立派な食料」なのだから、感謝して戴かねばならないのだ(苦境でなくても食料は、感謝して戴くものであるが、一層そうする)。そうして、食いつなぐ。“食いつなげたら問題は解決するのだ”。これまでの破綻した農政は、全面見直した上で、“超法規的に食料生産体制を整える必要がある”。多くの失業者を、この農業生産部隊に迎え入れ、国民が生き延びられることを最優先させるのである。そうすれば、そこに苦境克服の曙光が垣間見えるであろう。

第二次世界大戦の期間中、日本で自殺者は殆ど居なかったと言われている。人間は、危機に臨めば「動物性が顔を出してきて、生き延びることを第一に、死のうなどとは考えないもののようだ」。それでよいではないか。客観的に見れば、危機がひたひたと迫り来る今、「大変なストレスからとは言え、この情況に無関心にウツになっているヒマはない」のである。「これまでの環境で、これまでの思考パターンで考えているなら、ウツですくんでいるしかないのかも知れないが」、情況はうんと違うのである。この情況を味方に付けて、「開き直ってしまう」のが正解ではなかろうか。
開き直っても、する事がないなら困ってしまうが、今はする事がある。食料生産に当たるのである。植物は正直である。人間のように複雑でない。反論してくることもない。ただただ自然法則のままに、成長し、我々人間の食料になってくれるのである。

いま、「ウツから脱しよう」。まさにチャンスである。ウツは、その後の人生に余りよい展望を持てない欠点がある。でも人間は、「心を決めると、次に進めるのだ」。思い切ることだ。就職のまだ決まらない大学生・高校生も同じ考え方でよいのではないか。選択肢が幾らか有って、決めかねているのが「迷い」。迷いは、決めれば解決する。この後の人生をどう歩むか。決めかねているのが「ウツの現在の情況」。

開き直ると決めれば、それはそれで新しい展開が可能になる。
ウツからの脱出は、「開き直って、別天地に進むと決めれば、ほぼ解決が付いてしまうものなり」。

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